Amazon Kindle『WBC 球春のマイアミ』より一部を抜粋。WBCとは何か?を今一度、振り返る。
WBCの創生
WBCの正式名称は「ワールド・ベースボール・クラシック(World Baseball Classic)」
ワールドカップではなく「クラシック」と名付けられた陽春の古典劇。MLB機構が主催し、メジャーリーガーの参加が唯一許される国際大会でもある。野球の万国博覧会として普段は見られない野球文化に触れることができ、同時に国・地域別で争われる世界一決定戦でもある。それまで国際大会の頂点にはオリンピックがあったが、メジャーで活躍するトップ選手の参戦はなく、アマチュア野球の王者であるキューバの独壇場。WBCにより初めて世界のベストプレーヤーが名を連ねる国際大会が始まろうとしていた。
故郷を離れてアメリカで野球をするトッププレーヤーたちにとって、母国を背負って戦える唯一の大会であり、出場を決めた選手は怪我を恐れず最大出力で挑み、アドレナリンを噴火させる。選手もファンも野球少年に戻り、ハーメルンの笛吹男に誘われるようにWBCという洞窟に向かっていく。
バド・セリグ第9代MLBコミッショナーを中心に1999年から構想が進められ、2005年5月に第1回大会開催を発表。元々はWBCではなく「スーパーワールドカップ」の呼称だった。MLB30球団で開催に反対票を投じたのはニューヨーク・ヤンキース1球団のみ。
当初、一方的な開催通告に日本は難色を示し参加を保留していたが、MLB側の警告により2005年9月16日に参戦を決定。12月2日にはイチローが出場を表明。「本当に大会を盛り上げるならシーズンを中断してやるべき」と当初は態度を保留していたが「まずは始めないと」と参加を決断。12月27日には松井秀喜が出場辞退を表明し、日本代表30人が決定したのは2006年1月13日。紆余曲折を経て3月3日、東京ドームでの韓国vs.台湾戦でWBCの歴史がはじまった。5,193人がレガシーの証人となり、韓国が2-0で勝利。
「それを作れば、彼はやってくる」
最も有名な野球映画の一節のとおり、やがてWBCは野球を愛する選手、関係者、ファンの夢の球場となる。
WBCのロゴと優勝トロフィー
WBCのロゴは中央に地球儀と野球のボールを組み合わせ、球体の周りを4色(黄・青・緑・赤)の羽の形をした半円が囲む。「黄」が陽気・解放感、「青」は冷静・誠実、「緑」は成長・平等、「赤」は情熱・高揚・愛などのメッセージが込められている。
優勝トロフィーはティファニー製。材質は銀(スターリングシルバー)。高さ25インチ(約63.5 cm)、重さ30ポンド(約13.6 kg)。プールAからDまで4つのリーグを表す羽の真ん中には野球のボール(地球)が添えられ、優勝チームには金メダル、準優勝チームに銀メダルが授与される。
WBCの参加資格
今大会では日系人のヌートバーの代表入りが話題になったが、そもそもWBCの参加資格は幅広い。
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参加国の国籍を持っている
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参加国の永住資格を持っている
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参加国で生まれている
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両親のどちらか参加国の国籍を保持
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両親のどちらかが、参加国で出生
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参加国の国籍かパスポートの資格あり
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過去のWBCで、参加国の最終ロースターに登録された
第1回大会の準優勝国であるキューバ代表が「オールアマチュア」であったように、実力さえあればアマチュアでも出られ、性別や年齢制限もない。いつの日かスーパー高校生が現れ、トップチームのユニホームに袖を通すかもしれない。韓国代表のイ・ジョンフは父が中日ドラゴンズの選手だった関係で名古屋で生まれており、資格である「参加国で生まれている」を満たしているため、日本代表になることも可能。WBCは真に国際色豊かな大会となっている。
WBC歴代優勝国
WBCは歴史が浅い分、ベネズエラ代表の三冠王ミゲル・カブレラのような5大会の皆勤賞もいる。過去と現代をキャッチボールしながら見ることで、WBCをさらに楽しめる。2006年からの歴史絵巻を紐解いてみよう。
大会は過去4回行われ、優勝国は日本、ドミニカ、アメリカの3国。
第1回2006年:日本
第2回2009年:日本
第3回2013年:ドミニカ共和国
第4回2017年:アメリカ合衆国
第1回2006年
2006年(平成18年)、暗夜航路のなかを船出した記念すべき第一歩。16の国と地域が招待され、アジア、北米、中米、南米、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカとワールドワイドな大会となった。開催場所は日本(東京)、プエルトリコ(サンファン)、米国(4ヶ所)。試合数は39。日程は3月3日から21日までの19日間。記念すべきカーテンレーザー(幕開け)は3月3日、東京ドームでの韓国vs.台湾。
開催国のアメリカをはじめ、ドミニカ、プエルトリコ、ベネズエラなどはオリンピックに出場できなかった球史に名を残すメジャーリーガーが次々と参戦。豪華な顔ぶれが集結した。
初代王者は日本。96年アトランタ五輪や00年シドニー、04年アテネ五輪の参加者が多く、イチローや大塚晶則のメジャーリーガーも参戦。監督は王貞治。1次ラウンドを2位通過し(1位は韓国)、米国に舞台を移してからは誤審の常習犯であり、皮肉にもWBCを最も盛り上げた立役者ボブ・デビッドソン審判の影響でタフ・ロス(不運な敗戦)を喫する。しかし、その影響で3月3日に東京ドームで灯った種火が一気に炎上。5人のメジャーリーガーを擁し「ドリーム・オブ・ドリームチーム」と称された韓国代表を準決勝で破り、国際大会37回連続決勝進出のキューバ代表に勝利し栄冠。MVPは3勝を挙げた松坂大輔が選ばれた。アメリカ戦、準決勝の韓国戦を最少失点、無失点に抑えた上原浩治の快投、慣れない米国での戦いを支えたイチロー、大塚晶則のサポートが光った。決勝の舞台はサンディエゴのペトコ・パーク。プエルトリコやドミニカを破って勝ち上がってきたキューバを相手に10-6で勝利。アメリカでもドミニカでもなく、遠いアジアの島国が優勝を決めた瞬間、スタジアムに維新の紙吹雪が舞った。野球はWBCによって生まれ変わろうとしていた。
第2回2009年
4年後が待てないと言わんばかりに第1回から3年後の2009年に第2回大会を開催。前回と同じ顔ぶれで16の国と地域が参加。開催場所は日本(東京)、メキシコ(メキシコ・シティ)、カナダ(トロント)、プエルトリコ(サンファン)、米国(3ヶ所)と前回から2ヶ所増加。試合数は前回と同じ39。日程は3月5日から24日までの20日間。日本vs.中国戦で幕が開けた。
今大会から「SAMURAI JAPAN」が誕生。当時は英語表記。監督は原辰徳。前年に左膝手術を受けた松井秀喜は連続で出場辞退。イチロー、松坂大輔、福留孝介、岩村明憲、城島健司と5人のメジャーリーガーが参加し、日本での熱が着火。空前のWBC旋風が吹き荒れた。
前回の総当たり方式のリーグ戦をやめ、2回負けたら敗退するダブルイリミネーション方式トーナメントに変更。この入り組んだ方式により、アメリカvs.ベネズエラが3回、日本vs.韓国戦が5回も行われるカオスな大会となった。前回からの改良点は、マイナーリーグ所属の審判のみの構成から、メジャー審判や国際審判を採用。日本からも4人の審判が参加した。さらにはホームランのみビデオ判定が導入。延長13回からはタイブレーク方式が採用された。
準決勝で日本はアメリカを破って3年前の雪辱を果たし、決勝の相手は韓国。ドジャースタジアムに集まったWBC史上最多54,846人もの観客が見守るなか、5-3で大会連覇。MVPは2大会連続で松坂大輔。3試合に登板し全勝の投球でチームを牽引。韓国には前回大会で1勝2敗と負け越したが、今大会は3勝2敗と勝ち越した。決勝戦でイチローが延長10回に放った勝ち越しタイムリーは、その後の多くの侍戦士を生む火種となる。
第3回大会2013年
MLB所属のイチロー、ダルビッシュ有、岩隈久志、青木宣親、川﨑宗則、黒田博樹の6人全員が出場辞退。NPB所属選手だけの侍ジャパンとなった。1次ラウンドは初の福岡ドームでの開催。初戦はブラジル。今大会から完全招待制ではなく予選ラウンドが行われた。本戦を目指す16チームで争った結果、台湾、カナダ、ブラジル、スペインの4チームが出場。招待された12チームと合わせて16の国・地域で覇権を争った。
開催場所は日本(福岡、東京)、台湾(台中)、プエルトリコ(サンファン)、米国(4ヶ所)と前回より増加。試合数は3回連続で同じ39。日程は3月2日から19日までの18日間に短縮。オーストラリア vs.台湾でテープカット。
侍ジャパンは1次ラウンドを2勝1敗で通過し、第2ラウンド1回戦で予選を勝ち上がってきた台湾と対戦。延長10回、4時間37分の激闘はWBC史上に残る伝説となった。勢いに乗った日本はオランダを撃破して米国ラウンドに進出するが、準決勝でプエルトリコに敗戦。前田健太と井端弘和が大会ベストナインに選ばれた。
王者はドミニカ共和国。第1回、第2回大会も優勝候補に挙げられながら、三度目の正直で戴冠。全8試合に勝利し、史上初の全勝優勝。決勝の相手はプエルトリコ。前回大会の日本と韓国に続き、海を隔てた隣国同士の決戦は、降りしきる雨のサンフランシスコで行われた。日本を破ったプエルトリコを相手に3-0の完封勝利。大会MVPのロビンソン・カノをはじめとする強力打線に目が行きがちだが、チーム防御率は1.75(前回の日本の1.71に次ぐ歴代2位)の投手陣が光った。弓を引くポーズで大会を盛り上げた抑えのフェルナンド・ロドニーは8試合すべてに登板し無失点。1大会で7セーブは今後も破られないであろう記録の一つ。チームもトータルで14失点と、歴代最少失点優勝。WBCに大きな金字塔を打ち立て、サンフランシスコのバナナをAT&Tパークの夜空にペンライトのように掲げた。
第4回大会2017年
国内外の選手の多くが辞退を表明。MLBではヒューストン・アストロズ所属の青木宣親が35歳のチーム最年長で唯一メジャーリーガーとして参戦。前回同様、前年に予選ラウンドが行われオーストラリア、メキシコ、コロンビア、イスラエルが本戦に出場。
開催場所は日本(東京)、韓国(ソウル)、メキシコ(ハリスコ)、米国(3ヶ所)。試合数は前回から1試合増え40。日程は3月6日から22日までの17日間に短縮。開幕カードはイスラエルvs.韓国。
前回大会までの侍ジャパンは代表候補合宿を行い、大会直前に何人かが落選する方法だったが、選手や球団の反発から振るい落とす方式を撤去。あらかじめ集められた代表選手で本戦を戦うことになった。日本は1次ラウンド、2次ラウンドを6戦全勝で進み、チーム本塁打10本は歴代最多。
しかし、雨のロサンゼルスに乗り込んだ準決勝で惜敗。2大会連続で準決勝の壁を突破できなかった。優勝国は日本を破ったアメリカ。開催国のホストであり野球の母国でありながら「オープン戦感覚」と揶揄され続けたWBCだったが、4度目の正直にして初の戴冠。特に2次ラウンドはアメリカ、プエルトリコ、ドミニカ、ベネズエラとアメリカ大陸の最強四天王が集う超激戦。どの試合も夏と錯覚するほど熱い試合が繰り広げられ、季節を狂わせた。
決勝は全勝で勝ち進んできた最強プエルトリコを相手にMVPのマーカス・ストローマンが7回途中までノーヒットに抑える異次元のピッチング。打線もMVP級のクリスチャン・イエリチを筆頭に大爆発。アメリカはリーグ戦でドミニカ、プエルトリコに敗れていたが、トーナメントで強さを発揮。予想を裏切る8-0の大勝で、ついに王者の系譜に「チームUSA」を刻んだ。
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