ベースボール白書

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山際淳司『スローカーブを、もう一球』〜スコアボードに残らない野球、一球、一瞬、その先へ

山際淳司『スローカーブを、もう一球』

  • 著者:山際淳司
  • 出版社:角川文庫
  • 発売日:1985年2月10日(単行本は1981年8月)
  • ページ数:253ページ

山際淳司さんのデビュー著書。全8編を収録したスポーツ・ノンフィクション集、そのうち4編が野球を題材にしている。

表題作「スローカーブを、もう一球」をはじめ、伝説的な一編となった「江夏の21球」、高校野球を描いた「八月のカクテル光線」、背番号94の男を追った「背番号94」。さらに、ボート、ボクシング、陸上など、競技も立場も異なるアスリートたちの姿を描いている。

シングル・スカルの選手・津田真男を取り上げた「たった一人のオリンピック」は、萩原健一主演で映画化の企画も立ち上がったが、実現には至らなかった。

収録作品

  • 八月のカクテル光線
  • 江夏の21球
  • たった一人のオリンピック
  • 背番号94
  • ザ・シティー・ボクサー
  • ジムナジウムのスーパーマン
  • スローカーブを、もう一球
  •  ポール・ヴォルター

この本を初めて読んだのは、中学生だった。それまで自分にとって「野球の本」といえば、野球漫画か、技術を教えるノウハウ本だった。この本には、そのどれとも違う野球があった。ひとつのプレーの背後に、その人が歩いてきた時間がある。たった一球の向こう側に、人生がある。スコアボードに残らないものまで映っている。

そのことを、山際淳司さんに教えられた。とりわけ忘れられないのが、「八月のカクテル光線」と「スローカーブを、もう一球」だった。

山際さんの高校野球には、青春礼賛の熱さがない。高校球児を「夢を追う少年たち」として子ども扱いすることもなければ、ひたむきさや純粋さだけを切り取って美化することもない。もっと、一人の人間として見つめている。

夏の光。土の匂い。夕暮れのグラウンド。試合が終わったあとの静けさ。そして、もう二度とは戻らない時間。

山際淳司さんは、言葉で「夏の匂い」を書くことのできる人だった。

あれから数え切れないほどの野球本を読んできた。いまだにこの一冊を超える野球本には出逢っていない。

自分にとって初めて、「野球を書く」という、途方もない広さを教えてくれた。ページを開くたび、グラウンドの向こうから夏の匂いがしてくる。

八月のカクテル光線

1979年(昭和54年)夏の甲子園3回戦。高校野球史に語り継がれる、箕島(和歌山)対 星稜(石川)の延長18回を描いた一編である。

『Sports Graphic Number』第9号に「465球の奇跡」というタイトルで掲載され、書籍化にあたって「八月のカクテル光線」と改題された。

「465球の奇跡」が試合そのものを表すタイトルだとすれば、「八月のカクテル光線」は、その試合を包んでいた時間まで閉じ込めている。

カクテル光線とは、ナイター照明のこと。そこには、いま目の前で瞬いている光と、すでに過ぎ去ってしまった夏を照らす光という、二つの時間が重なっている。

照明の下を白球が飛ぶ。その行方ひとつでアウトになり、同点になり、試合が続き、終わる。一球が勝敗を変え、一瞬が、その後の人生まで変えてしまう。

山際さんは、この試合を、よくある「伝説の名勝負」として描かない。読み終えたあと最も強く残る主人公は、選手ではない。夏である。

八月の暑さ。暮れていく空。カクテル光線。いつ終わるとも知れない試合。終わってしまえば二度とは戻らない時間。

山際さんは、箕島と星稜の選手たちを描きながら、その背後に流れている「夏」という巨大な時間を描いている。

だから、この試合をリアルタイムで知らない人間にも届く。1979年の甲子園にいなかった読者でさえ、自分の記憶のなかにある夏を重ねる。

部活動をしていた夏。何かに夢中になっていた夏。二度と会えなくなった人と過ごした夏。取り戻すことのできない季節が、カクテル光線の向こう側から呼び戻される。

山際さんが文章によって生み出しているのは、出来事の再現だけではない。

もっと曖昧で、もっと身体的なものだ。

写真なら、その瞬間の姿が固定される。映像なら、そのとき実際に起きたことを見ることができる。しかし活字には、映像がない。だからこそ、読者は自分で空をつくり、光をつくり、歓声をつくる。

カクテル光線の色も、白球の軌道も、球場の匂いも、それぞれの読者のなかで違っていていい。活字には、その自由がある。

山際さんは1979年の甲子園を再現しているのではない。文章を読む一人ひとりのなかに、もうひとつの甲子園をつくっている。

だから「八月のカクテル光線」は、過去の名勝負を書いた作品でありながら、古びない。

野球には、ときどき時間の感覚を狂わせる瞬間がある。

ほんの数秒の一球が、何十年も語り継がれる。一瞬だったはずのプレーが、記憶のなかでは終わらない。

山際さんが書いたのは、まさにその不思議である。

一球を、一瞬を、永遠にする。それが野球というドラマの力であり、「八月のカクテル光線」という作品そのものなのである。

江夏の21球

1979年11月4日、日本シリーズ第7戦。広島東洋カープvs.近鉄バファローズ。広島が4対3と1点をリードして迎えた9回裏、江夏豊が投じた21球に焦点を当てたノンフィクション。

1980年、『Sports Graphic Number』創刊号に掲載され、これが山際さんにとって、ノンフィクション作家としてのデビュー作にあたる。

描かれる時間は、わずか26分49秒。しかし、読み終えたときの感覚はまったく違う。

一試合どころか、何人もの野球人生を見届けたような重さが残る。

球場の情景、自身の主観、後日の取材によって引き出した選手たちの証言、実況中継の言葉、野村克也の解説。異なる時間、異なる視点、異なる声を重ね合わせながら、21球をもう一度組み立てていく。

その構成は、どこか映画に似ている。

江夏の表情が映る。打者の心理へ切り替わる。ベンチへ移る。実況の声が入る。そして後年の証言によって、当時は見えなかった心の内側が差し込まれる。

映像ではなく、活字だからこそ可能になる編集によって、ひとつの「映画」が立ち上がっていく。

この一編がスポーツ・ノンフィクションを越えて文学になっている理由のひとつが、冒頭と結末の置き方にある。

書き出しはこうだ。

近鉄バファローズの石渡茂選手は、今でもそんなはずがないと思っている。

試合結果を知っている読者に対し、いきなり「そんなはずがない」と告げる。

何が、そんなはずがないのか。なぜ、何年経ってもそう思うのか。読者はその疑問を抱えたまま、21球の中へ連れていかれる。

山際さんが言葉によって創造した物語の扉である。

一方、結末では温度が下がる。

その直後、江夏はベンチに戻り、うずくまって涙したという。

ここで重要なのは、「涙した」ではなく、「涙したという」で終わること。

最後の最後に、山際さんは一歩引く。

自分が見たとは書かない。感動を増幅させようともしない。江夏の涙を劇的なクライマックスとして抱え込まず、伝聞としてそっと置く。

冒頭では読者を物語の内側へ引き込み、結末では逆に距離を取る。

この非対称性が美しい。普通なら、クライマックスに向かって感情を高め、最後に涙で締めたくなる。

しかし山際さんはそうしない。むしろ、物語が終わるほど筆者は静かになっていく。

だから余韻だけが残る。

幕が下りてからも、観客席にしばらく座っていたくなる映画のようである。

「江夏の21球」が教えてくれるのは、野球が単純な「球を投げ、球を打つゲーム」ではないということでもある。

ひとつのプレーが起きるまでに、いくつもの心理が押し合い、引き合っている。野球とは、目には見えないシーソーゲームなのだ。山際さんは、その傾きを文章で可視化する。だから21球しかないのに、世界が広い。

むしろ21球に絞ったからこそ、野球という競技の奥行きが見えてくる。

リアルタイムの実況は、「いま何が起きているか」を伝える。

だが、ノンフィクションは違う。

時間が経ったあとで証言を集め、出来事を掘り返し、複数の視点を重ねることで、「あのとき本当は何が起きていたのか」をもう一度問い直すことができる。

過去を書くことで、過去を現在に戻す。1979年11月4日は、すでに終わっている。

それでも「江夏の21球」を読み始めると、また試合が始まる。

過去の出来事を、現在進行形へ戻してしまう。

それが文章の力であり、「江夏の21球」という作品の凄さであり、山際淳司という書き手の力なのだ。

背番号94

「背番号94」は、長嶋茂雄監督の目に留まり、千葉県佐原市出身という同郷の縁もあって読売ジャイアンツに入団した黒田真治を描いた一編である。1981年3月、『野性時代』に掲載された。

故郷の大スターから期待を寄せられ、プロ野球の世界へ入った投手。しかし一軍のマウンドには届かず、やがてバッティングピッチャーへ転向する。

山際さんは、その人生を「挫折」という便利な言葉で括らない。プロ野球という巨大な世界のなかで、一人の男がどのように居場所を変え、野球のそばに立ち続けたのかを追っていく。

この作品で印象的なのは、山際さんが黒田の人生を語るために、感情的な言葉ではなく、いくつかの「数字」を使っていることである。

ひとつ目が、背番号。

入団当時の「63」が、バッティングピッチャーとなって「94」に変わる。

野球において背番号は、その選手がチームのなかでどの場所にいるのかが刻まれる。

63から94へ。数字だけを見れば、わずかな変化にすぎない。しかしプロ野球の世界では、その二桁の変化が、立場が変わったことを何より雄弁に物語る。

だからこそ、題名は「黒田真治」ではなく、「背番号94」なのだ。

人間そのものではなく、その人間が背負わされた数字をタイトルにする。その距離感に、山際さんの凄さがある。

ふたつ目が、120球。

バッティングピッチャーとなった黒田真治が、毎日投げ続ける球数である。

試合で先発投手が120球を投げれば、それは一仕事である。翌日は肩を休ませ、登板間隔を空ける。しかし打撃投手は、同じ球数を日常的に投げる。しかも、目的は打者を抑えることではない。打ちやすい場所へ、正確に、何度も投げる。

同じ「ボールを投げる」という行為でありながら、公式戦のマウンドとは意味がまったく違う。

山際さんは、その違いを書くことで、打撃投手を「選手になれなかった者」として描かない。むしろ、表舞台を支える一つの専門職として、その肉体的な過酷さと技術を静かに浮かび上がらせる。ここに山際さん流のリスペクトがある。

そして三つ目が、金額である。

入団時から変化していく給料を具体的に記すことで、黒田真治がプロ野球という職業世界のなかでどのような位置を占めてきたのかを示している。

背番号が「立場」を表す数字なら、120球は「労働」を表す数字。そして月給は、その仕事が社会のなかで与えられた「価値」を示す数字である。

そして、この作品には忘れられない場面がある。

バッティングピッチャーへの転向が決まり、高校時代の恩師と電話で話した黒田真治が、生まれて初めて野球のことで涙を流した、その直後である。

彼はボールを持って部屋を出ると、多摩川のグラウンドに行き、マウンドに上がると一球だけホームベースに向かって投げた。ボールはホームの上を通過して、そのままバックネットに当たり、ポトリと落ちた。

書かれていることだけを見れば、何の変哲もない。男がマウンドに立ち、一球を投げる。ボールがバックネットに当たり、落ちる。それだけである。

しかし、この「それだけ」が凄い。

ここで山際さんが、もし「その一球には彼の失われた夢が込められていた」と書いてしまえば、読者が感じる余地はなくなる。

「白球は青春の終わりを告げるように転がった」と比喩を置けば、それもまた答えになってしまう。

山際さんは何も説明しない。泣いた黒田が、一人でグラウンドへ行き、マウンドから一球だけ投げた。

それ以上でも、それ以下でもない。

だから読者は感じる。その一球の重みを。

山際さんの文章は事実を淡々と書いているようで、そこには大きな余白がある。

一見すれば凡庸な文章。しかし、凡庸であることによって普遍になる。

言葉を足すのではなく、削ることで読み手を奥へ連れていく。山際さんの文章の凄みが、最もよく表れた一節である。

そして、作品の最後もまた数字で終わる。

黒田真治の月給は、29万円。

この金額は、プロ入りした当初やファームで過ごした時代よりも高い。

投手として成功したわけではない。だからといって、その後の人生を「夢破れた男」として終わらせるわけでもない。

バッティングピッチャーという別の役割を得て、以前より高い報酬を受け取りながら、なおプロ野球の世界で生きている。

つまり、物語は終わっていない。むしろ「投手として成功する」という一本道から外れたことで、別の野球人生が始まっている。

山際さんは、そのことを「彼は新しい人生を歩み始めた」などとは書かない。

ただ、29万円という数字を置く。

山際さんが見つめたのは、記録集に残らない数字。そこに生活があり、給料があり、人生がある。

「背番号94」が描いているのは、その当たり前の事実。そして山際さんは、その当たり前のなかにこそ、野球というスポーツの最も深い場所を見ていた。

スローカーブを、もう一球

本書の表題作となった一編は、『野性時代』1981年4月号に掲載された。

舞台は甲子園ではない。描かれるのは、群馬県立高崎高校が戦った1980年秋の群馬県大会から秋季関東大会までである。

主人公も、甲子園のヒーローでもなければ、プロ野球のスターでもない。川端俊介という一人の高校生投手。

しかも、山際さんが目を向けたのは豪速球ではない。

スローカーブだった。

豪速球が投手の「能力」を映すものだとすれば、スローカーブには、その人間の「性格」が滲む。

力でねじ伏せるのではなく、相手を見ながら、少し外し、打者の時間を狂わせる。

山際さんが描こうとしたのは、野球の技術ではなく、もっと奥にある、一人の人間だった。

高崎高校は、この物語のあと、春のセンバツ出場を果たす。

普通なら、そこまで書きたくなる。

甲子園という大舞台に到達した瞬間をクライマックスにし、物語を完成させたくなる。

しかし、山際さんは、そうしなかった。

物語を閉じる場所に選んだのは、秋季関東大会の決勝戦での敗北だった。

映画『ロッキー』が、タイトルマッチの勝敗以上に、そこへ向かうトレーニングの日々を描いたように、山際さんも「到達した場所」より「そこへ向かっている時間」に光を当てた。

甲子園に出たから価値が生まれるのではない。甲子園を目指していた時間そのものに、すでに物語がある。

まだ何者でもない高校生が、自分でも知らなかった可能性に触れていく時間。勝つたびに少しずつ景色が変わり、敗れることで初めて、自分の現在地を知る。

山際さんは、その途中にこそ、人間の濃密な時間があることを知っていた。

敗北は負けた瞬間から、「この先」が始まる。勝利は過去形になり、敗北は未来形になる。だから「スローカーブを、もう一球」は、敗北で終わりながら、物語としては終わらない。

最後に残されるのは、結果ではなく、投球動作である。

川端俊介は、微笑んだ。そしてうなずくと、ゆっくりとスローカーブを投げる、あのいつものモーションに入っていく…。

なんという終わり方だろう。

試合は終わっている。けれど、川端はまた投げようとしている。

だから、その球は永遠に投げ終わらない。

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甲子園への道〜京都大会、西京極の陽炎に、夏の夢は揺れている

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京都の夏は、湿気がやわらかく体にまとわりつく。
街を歩けば、石畳からじんわりと熱が立ちのぼり、蝉の声が時間にしみ込んでくる。
そんな蒸し返すような午後に、太陽の下に集う高校生たちがいる。汗にまみれながら、静かに、何かを信じている。

「甲子園へ行く」

その願いだけを胸に、3年生は最後の夏を迎える。白球を追いかけながら、心の奥では、いつか終わる季節を感じている。

地方大会の空気は、やわらかく、どこか切ない。それは全国大会よりも、少しだけ手前にある風景。

大観衆も、大舞台もまだ先。目の前の一試合に、すべてをかける。夏の続きを見るために。

京都大会は、ちょうど梅雨がほどけていく頃に進んでいく。例年、京都の夏の高校野球は7月に行われ、京都の雨の季節は7月の終わりごろに明けていく。

地方大会の決勝戦。それは、夢と現実が交差する場所。甲子園まで、あと一つ。その距離の近さが、むしろ遠さになる瞬間が、ここにはある。

この一勝で、夏が続く。
この一敗で、高校野球が終わる。

打球音がやけに遠くに響くのは、観客の誰もが、勝者と敗者の物語を同時に見ているからだ。

地方大会の決勝戦。それは「もう一つの甲子園」。誰かにとっての夢の終点であり、誰かにとっての始発駅。甲子園の手前にある、甲子園。

一塁側、三塁側。どちらにも、夏を駆け抜けてきた物語がある。グラウンドに立つナイン、その後ろにはベンチの仲間たちがいる。その後ろには、朝練や夕練をともに乗り越えた先輩、後輩、家族、恩師がいる。

勝てば、甲子園。負けても、すべてが無駄ではないと信じられるように、選手たちは最後まで全力で戦う。ユニホームの袖をまくるしぐさひとつに、3年間の重みがにじむ。

そして、試合が終わる。勝ったチームが歓喜に沸く中、負けたチームの選手が野球帽を脱ぎ、涙を拭かず深く一礼する。その姿は、勝者のガッツポーズよりも美しい。地方大会の決勝戦で刻まれるプレーと表情は、甲子園以上に光るものがある。

京都大会と平安高校

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京都における甲子園への道は、西京極の土の上に描かれている。

京都の夏は、暑い。盆地の空気が熱を抱え込み、奈良や大阪、和歌山にも猛暑の日はあるのに、京都の午後にはそれらとはまた違う、逃げ場のない熱がある。

京都大会には、関西のなかでも独特の重さがある。伝統が息づき、静かな熱を湛え、そして「平安」という名前が、そこにある。

甲子園最多出場校。そのユニホームが持つ意味を、京都に暮らす人間なら誰もが知っている。

平安の二文字には、京都という土地の記憶が染み込んでいる。「平安」の二文字を背負うには、覚悟がいる。それは、誇りであり、呪縛でもある。

「平安なら勝って当然」と、誰もが言う。

「平安だからこそ、負けてはいけない」と、誰もがつぶやく。

ユニホームの内側にいるのは、まだ十代の高校生たち。その胸にあるのは、平安の野球を背負い、守り、貫こうとするひたむきな時間。

甲子園への切符を手にし、校歌を高らかに歌うとき、それは、平安であることに最後まで背を向けなかった若者たちへの、小さく、深い称賛。

7月の京都には、静かに燃える球夏がある。汗と土と静寂のあいだで、ひとつの夏が息づいている。

プロローグは、ここにある。西京極の陽炎の中に。

太陽と、土と、風が交差する、夢の入口に。

京都大会の歴史

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夏の全国高校野球選手権大会における京都大会(地方予選)は、1915年(大正4年)に初めて開催された。当時は滋賀県と合同の「京津大会」(京都・滋賀地区予選)として行われ、京都府から8校、滋賀県から3校の計11校が参加。決勝では京都二中(京都府立第二中学校)が同志社中学校を5対0で下し、京都府代表として初の甲子園本大会出場校となった(京都二中はその後全国大会でも初優勝)
平安高校が甲子園に初めて出場するのは、1927年(第13回大会)から。5年連続出場の快進撃を続け、全国でも甲子園最多出場を誇る名門校となる。

2026年の京都大会 3回戦

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気温は35度まで上がっていた。

外野席の向こうでは、蝉が途切れることなく鳴いている。夏そのものが震えている。ときおり吹き下ろしてくる風だけが、火照った頬を静かに冷ましていく。

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2026年7月13日(月)。西京極球場(わかさスタジアム京都)、初戦をコールド勝ちで突破した平安高校の夏が始まっていた。

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この日の打線は、ほぼベストオーダー。先発のマウンドに立ったのは、2年生左腕、三城柊飛。広島から京都へやってきた伝統の平安サウスポー。

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1年生だった秋の北稜戦では先発を任され、コールド勝ちへ導いた。わずかの間で雰囲気も変わっている。

夏の大会で投げる意味は、秋とは少し違う。甲子園までの山は長い。すべての試合をエース一人で登り切ることは難しい。いかに背番号1の消耗を抑え、控え投手を含めた全員で勝ち上がるか。その選択が、最後の一試合で効いてくる。

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1997年、平安が夏の甲子園へ出場したときもそうだった。

川口知哉さんの登板は準々決勝から。初戦の2回戦では奥原耕三さんが投げ、3回戦のマウンドには2年生の田中篤史さんが上がった。

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あの夏も、背番号1の前に、次の時代を背負う投手がいた。三城もまた、その場所に立つ。

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平安は7番に指名打者を置いたが、西舞鶴は、DH制を使わない。背番号1の能勢大輔が、投手として、7番打者として出場する。

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片方は投手を分担し、片方はエースにすべてを託す。試合が始まる前から、二つの高校野球がグラウンドの上に並んでいた。平安の丸坊主に対して西舞鶴の髪型は自由。時の流れを感じる。

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三城は130キロ前後の直球と、110キロ台のカーブを投げ分ける。速い球のあとに遅い球が来る。打者の時間はわずかに狂う。

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球威も申し分なく、手が出ない。西舞鶴の攻撃を三者凡退に抑え、静かにベンチへ戻った。

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その裏、平安の先頭打者・松村悠陽がヒットで出塁する。2番の猪飼悠大が送りバントを決め、走者を得点圏へ進めた。初回から早くも球場に、妖しいボレロが流れ始める。

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3番の福馬達矢が四球を選ぶと、二人の走者が同時にスタートを切った。ダブルスチール成功。二塁、三塁。

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4番・鞍本蓮の内野ゴロの間に、三塁走者が還った。まず1点。

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続く5番・松本創太がレフト前へ運び、2点目が入った。ヒット、バント、四球、盗塁、内野ゴロ、タイムリー。平安は、一つひとつの仕事をつなぎ合わせて得点した。

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高校野球の強さは、大きな音を立てない。前の試合で平安は4つの失策を記録していた。夏の初戦には、独特の硬さがある。ボールが手につかず、足が半歩だけ遅れる。その半歩が、選手たちを焦らせる。この日は違った。守備が、若い左腕を支えていた。

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両投手が好投し、試合が再び動いたのは、4回裏。西舞鶴の守備の乱れから、平安が2人の走者を置く。打席には9番の西野光喜。西野の打球は、レフト線へ落ちた。外野の処理が遅れ、中継が乱れた。そのわずかな綻びを見逃さなかった。

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記録はヒットだが、ランニングホームラン。一つの打球で、3人が還った。5対0。

高校野球は、守備である。その言葉が、スコアボードに3点という形で刻まれていた。

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グラウンド整備を終えた直後の6回表。均されたばかりの黒土には、試合をリセットする力がある。

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先頭打者の打球を、ショートの松本が好捕した。難しいバウンドに身体を合わせ、何事もなかったようにアウトを取る。日差しが強く、サングラスをかけなければいけないが、華麗な動きを見せる。

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直後、サードの石家幸宗に失策が出た。エラーは一つの数字にすぎない。だが、試合の中では、その数字が空気を変えることがある。西舞鶴は立て続けにヒットを放ち、二死満塁。打席には4番捕手の嶋貫大輝が入った。

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三城は2ストライクまで追い込んだが、次の一球が打者の身体に当たった。押し出しの死球。西舞鶴に1点が入る。

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直後の6回裏。失策をした石家が、先頭打者として挽回の左前打を放った。平安は指名打者の打順に代打・津田宗一郎を送り、送りバントはセーフティーバントの形となり、走者を進める。

1アウト二、三塁。打席には、4回にランニングホームランを放った西野が入った。

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西野は再び、走者を還した。2点タイムリー。7対1。大きくなりかけた相手の気配を、平安はすぐに押し戻した。

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7回からは、二番手の酒井心太朗がマウンドに上がった。再びサード石家にエラーが出て、フォアボールから一、二塁になるが、無失点で切り抜ける。

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8回表。先頭打者に死球を与え、続く打者を四球で歩かせる。無死一、二塁。そこで、平安ベンチが動いた。

背番号1、川島謙心。名前が告げられ、細身の長身がベンチから現れた瞬間、球場の空気が変わる。

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長い腕から放たれる直球には、数字だけでは説明できない伸びがある。身体は細い。どこか、若い日の佐々木朗希を思わせる立ち姿だった。常に笑顔を心がけている。

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最初に迎えた4番打者をライトフライに打ち取る。続く5番打者の打球も詰まらせたが、内野安打となり、その間に走者が還った。

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西舞鶴は、初回から最後まで勢いが衰えない。古豪を相手に、どこか開き直った雰囲気がある。それをパワーに変えている。

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満塁。それでも、川島は崩れなかった。最後の打者を三振に取る。

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8回裏になっても、西舞鶴のマウンドには能勢大輔が立っていた。すでに球数は百球を超えている。

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直球は勢いを失い、ボールは山なりの軌道を描いていた。球速表示は100キロ台。足にも腕にも、疲労が見える。

それでも、能勢はマウンドを降りなかった。

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西舞鶴はDH制を使わず、打席にも立たせた。投げて、打って、守る。エースが試合の最初から最後まで責任を負う。

現代の高校野球では、投手の分業が進んでいる。球数を管理し、複数の投手で大会を勝ち抜く。それは選手を守り、長い大会を戦うための正しい方法。

けれど、高校野球には、正しさだけでは測れない時間がある。疲れているから交代するのではなく、疲れていても投げる。勝てるから続投するのではなく、自分がエースだから最後まで立つ。能勢の投球には、そうした古い高校野球の記憶が残っていた。

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最後は2番・猪飼悠大の打球が外野へ抜けた。二人の走者が還る。9対2。そこで試合は終わった。能勢は127球を投げ、9点を失った。それでも、最後までマウンドにいた。

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エースは完投する。いまでは昔の言葉になった。だが、能勢が見せた姿には、高校野球が長い時間をかけて守ってきた美しさがあった。

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1997年の夏、甲子園のマウンドで投げ続けた川口知哉の姿が重なった。

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勝った平安の選手たちが整列し、西舞鶴の選手たちも帽子を取った。

頭を下げる。

その一礼の中に、勝敗だけでは分けられない時間があった。

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平安は全員で勝った。三城が試合をつくり、野手が守り、西野が走り、酒井がつなぎ、最後に川島が締めた。長い山を登るチームの勝ち方だった。

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一方、西舞鶴は一人のエースとともに戦った。

どちらが正しいわけでもない。野球には、いくつもの夏の終え方がある。

京都では、7月1日から祇園祭が始まっている。町のあちこちで鉾が建ち、囃子の音が響く。山鉾が都大路を進むのは、厄を払い、道を清めるためだ。

高校球児たちもまた、一試合ずつ、自分たちの道を進んでいく。

勝つたびに、甲子園は近づく。近づけば近づくほど、その道は細くなり、険しくなる。

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平安の夏は、まだ終わらない。西京極の空には蝉の声が残り、北からの風が、試合の終わったグラウンドをゆっくりと通り抜けていた。

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漫画『私の甲子園』〜夏がもう一度はじまる、甲子園という光に、傷ついた者たちへ

『私の甲子園』

  • 巻数:全5巻(50話)
  • 作者:かわさき健(原作)、鎌田洋次(作画)
  • 題材:高校野球
  • 媒体:漫画アクション(双葉社)
  • 連載:2006年〜2008年

『私の甲子園』は、かわさき健原作、鎌田洋次作画による高校野球漫画。

物語の舞台は、宮城県気仙沼にある県立十八鳴(くぐなり)高校。かつて夏の甲子園に出場したことのある高校だが、現在の野球部はすっかり荒廃している。

主人公は、母校に保健体育教師として戻ってきた綿矢しほの。かつて十八鳴高校が甲子園に初出場したときの女子マネジャーであり、野球部の部長を務めることになる。

そこへ、東京の日大三高から逃げるように転校してきた才能ある投手・大田原康平が加わる。甲子園を夢見る教師と、甲子園に傷を負った少年。二人を中心に、再び聖地を目指す野球部の姿が描かれていく。

原作者のかわさき健は、『巨人の星』で知られる漫画家・川崎のぼるを父に持つ人物。高校野球の熱気、挫折、再生、そして甲子園という場所に宿る特別な力を描いた作品である。

あらすじ

27歳の綿矢しほのは、10年ぶりに母校である県立十八鳴高校へ戻ってくる。新たな肩書きは、保健体育の教師。野球部の部長に仮病を疲われ、急遽、代理で部長をやることになる。

しほのは10年前、十八鳴高校が夏の甲子園に初出場したときの女子マネジャー。しかし、久しぶりに目にした野球部は、かつての輝きを失っていた。部員はわずか7人。監督を務める日本史教師は野球未経験で、やる気もない。ノックすらまともに打てず、部員たちも練習に身が入らない。

そんな野球部に、一人の転校生がやってくる。東京の日大三高から来た大田原康平。才能に恵まれながらも挫折を経験し、父親の左遷に合わせる形で、東京から逃げてきたピッチャーである。

康平は過去の傷から、「甲子園」という言葉を聞くだけで蕁麻疹が出るほどのトラウマを抱えていた。甲子園を目指したいしほのと、甲子園から逃げたい康平。二人の出会いが、止まっていた十八鳴高校野球部の時間を動かし始める。

しほの自身にも、甲子園への特別な記憶があった。かつて甲子園に初出場した十八鳴高校のエース・石田康平は、再びこの場所に戻ってくることを誓い、甲子園の蔦に向かって一球のボールを投げ込んだ。しかしその直後、石田は難病に倒れ、右腕を切断。やがて命を落としてしまう。

その無念は、幽霊となってしほのの前に現れる。最初は石田の想いに突き動かされるように甲子園を目指していたしほのだったが、やがてその夢は、彼女自身の目標へと変わっていく。

荒れた野球部、傷を抱えたエース、そして亡き仲間の願い。『私の甲子園』は、もう一度甲子園を目指す者たちの再生の物語である。

『私の甲子園』レビュー

野球漫画は、たいていマウンドから始まる。速い球を投げる少年がいる。誰よりも遠くへ打つ四番がいる。天才がいて、ライバルがいて、夏があって、最後に甲子園がある。
それが、野球漫画の王道だった。

けれど『私の甲子園』は、少し違う場所から始まる。主人公は、投手ではない。四番でもない。監督でもない。野球部の部長である。しかも、女性である。

この設定だけで、十分に珍しい。日本には1,000作品を超える野球漫画があるが、その中心に「女性の部長」を置いた作品は、ほとんどない。野球という競技が、長いあいだ男たちの物語として語られてきたことを思えば、それだけでこの漫画は、小さな異物のように光っている。

だが、綿矢しほのは、ただの“珍しい主人公”ではない。

彼女は、奇麗ごとで野球部を立て直そうとはしない。夢を語る前に、まず荒れた部室を見る。散らばったボールを見る。腐りかけたグラブを見る。怠けた部員を見る。逃げた少年を見る。そして、自分の中に残っている、甲子園への未練を見る。

彼女は、現実から目をそらさない。保健体育の教師として、性の話も堂々とする。多感な男子高校生たちを前にしても、たじろがない。女であることを隠さない。かといって、それを悲劇にも、聖域にも、武器にも固定しない。

しほのは、自分に与えられたものを、そのまま引き受けている。若さも、性別も、感情も、未熟さも、執念も。それらを整理してから走り出すのではない。抱えたまま走る。

人は何かを始める前に、自分を正当化したがる。これは教育なのか。指導なのか。執着なのか。自己満足なのか。しかし、しほのはその問いに立ち止まらない。

できるか、できないか。正しいか、間違っているか。それは、走り出す前に決めることではない。

彼女は部員たちに言う。走れ、と。走ると言ったら、走るのだ、と。嫌なら野球部を辞めなさい、と。この乱暴さの中に、高校野球の本質がある。

高校野球は、とても理不尽な競技である。夏は待ってくれない。成長を待ってくれない。怪我も、家庭の事情も、心の傷も、ほとんど考慮してくれない。三年生の夏が終われば、どれほど未完成でも、そこで物語は切られる。

だから高校球児は、いつも時間に追われている。だが、この漫画でいちばん追われているのは、部員たちではない。しほのである。高校生よりも、彼女の方が切羽詰まっている。彼女の方が、夏の残酷さを知っている。甲子園に行けなかった時間、戻れなかった時間、死者が置いていった時間。それらが、彼女の背中を押している。

だから彼女は、最短距離を選ぶ。きれいな道ではない。褒められる道でもない。そこにしか道がないなら、彼女はそこを行く。

『私の甲子園』の面白さは、甲子園を憧れとして描かないところにある。大田原康平にとって、甲子園は光ではない。傷である。

「甲子園」という言葉を聞くだけで、身体が拒否反応を起こす。蕁麻疹が出る。逃げた記憶が、皮膚の上に浮かび上がる。

高校野球を外側から眺める者は、つい甲子園を無条件の聖地として見てしまう。そこへ行ける者は幸福で、行けない者は敗者であるかのように考えてしまう。けれど、甲子園は人を救うだけの場所ではない。人を壊すこともある。眩しすぎる光は、ときに影を濃くする。康平は、その影を背負っている。

甲子園に選ばれなかった少年。甲子園の前で折れた少年。甲子園という言葉から逃げることで、かろうじて自分を保ってきた少年。

その少年を、しほのはもう一度、グラウンドへ連れ戻そうとする。残酷にも見える。だが、救いとは、いつも少し残酷なものだ。傷に触れずに、傷は癒えない。逃げてきた場所へ戻らなければ、終わらない物語がある。

この漫画が描いているのは、勝利ではなく、再開である。

止まっていた時間を、もう一度動かすこと。投げられなかった球を、もう一度握ること。見なかったふりをしていた夢を、もう一度見ること。

その象徴として、甲子園の蔦から落ちてくる一球のボールがある。死んだエース・石田康平が、再び甲子園へ戻ることを誓って投げたボール。難病によって右腕を失い、やがて命も失う。ボールだけが残った。約束だけが残った。

野球という競技では、ボールは常に誰かから誰かへ渡される。投手から捕手へ。内野手から一塁手へ。外野から本塁へ。この作品では、そのボールが、生者と死者のあいだを渡っている。

石田から、しほのへ。しほのから、康平へ。康平から、十八鳴高校の部員たちへ。

それは技術ではなく、思いの継承である。

高校野球漫画の多くは、試合を描く。九回裏、二死満塁、最後の一球。その緊張を描く。もちろん、それは面白い。野球漫画の醍醐味である。

しかし『私の甲子園』が見つめているのは、試合の前にある時間だ。

甲子園とは、試合会場の名前ではない。そこへ向かおうとする時間の総称なのだ。この漫画は、そのことをよく知っている。

惜しむらくは、「監督」と「部長」の違いを、もう少し深く描いてほしかった。高校野球における部長とは、決して飾りではない。選手と学校、現場と制度、夢と現実のあいだに立つ存在である。監督がグラウンドの指揮官なら、部長はグラウンドが成立するための縁の下にいる。せっかくの野球部の部長が主役の漫画。そこを掘り下げて欲しかった。

それでも、『私の甲子園』は、野球が選手だけのものではないことを教えてくれる。野球は、男だけの物語ではない。勝者だけの物語でもない。才能ある者だけの物語でもない。むしろ、野球から少し外れた場所にいる人間ほど、野球の輪郭を鮮やかに見ていることがある。

しほのは、感情で走る。怒る。迷う。無茶をする。その感情は弱さではない。高校野球にとって、感情とは燃料である。

理屈だけでは、夏は越えられない。才能だけでは、甲子園には届かない。正しさだけでは、人はもう一度グラウンドに戻れない。

誰かの無念を背負い、誰かの逃避を追いかけ、誰かの鈍感なふりを見抜きながら、それでも「行こう」と言える人間が必要なのだ。

『私の甲子園』は、そういう人間を主人公にした漫画である。

マウンドの中心ではなく、グラウンドの端に立つ者。ユニフォームではなく、スーツで汗をかく者。バットもグラブも持たず、それでも野球を動かしてしまう者。

甲子園へ行くのは、選手だけではない。

当たり前のようで、誰も真正面から描かなかった事実を、この漫画は少し乱暴に、少し不器用に、それでもまっすぐ差し出してくる。だから読後に残るのは、勝敗の記憶ではない。あの人もまた、野球をしていたのだ、という静かな発見である。

 
 

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春季近畿大会〜県境を越える春

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県大会を勝ち抜いた京都のチームには、もうひとつの春が待っている。

春季近畿大会である。

県の春季大会を優勝するというのは、その県でいちばん強かった、ということだ。だが高校野球というものは、県の中だけで完結しない。勝ち進んだ先には、県境の向こう側にいる、別の強さがある。

春季近畿大会の意義は、そこにある。県内でつくった自分たちの輪郭が、外の世界でも同じかたちを保てるのか。それとも、県を出た瞬間に歪むのか。それを知る大会である。

県大会を勝つと、人はどうしてもその県の物差しで自分たちを見る。自分たちは強い、と思う。たしかに強い。だが、その強さがどの程度の強さなのかは、外へ出なければわからない。春季近畿大会は、その錯覚をはぎ取る。あるいは、その自信を本物に変える。

始まりの物語から、広い地図へ

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各都道府県の春季大会は、新チームの漕ぎ出しだ。センバツが2年生と3年生だけで戦う、いわば冬の延長戦だとすれば、春季大会は新入生が加わった全員野球である。本当の意味での始まりの物語だ。

まだ中学校を卒業したばかりの1年生が、ぎこちない動作で先輩のあとを追う。ベンチに新しい空気が入り、グラウンドに新しい声が混じる。

その新しいチームが、県内の競争をくぐり抜け、ひとまず頂点に立つ。そして夏のシード権を得る。だが、そこで得た序列はあくまで県内のものだ。

春季近畿大会で問われるのは、県内での強さではなく、近畿という少し広い地図の中での現在地である。

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大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、和歌山。近畿には、それぞれ違った野球がある。

テンポで押すチームがある。守りで試合を細くするチームがある。打ち勝つことを前提に組み立てるチームがある。同じ優勝校でも、勝ち方の質は違う。

県内では通用していた攻めが、他県の投手には見透かされることもある。逆に、県内では目立たなかった走塁や守備の緻密さが、広い舞台で突然、武器として立ち上がることもある。

春季近畿大会は、県大会では見えなかった長所と弱点を、いっそう鮮明に浮かび上がらせる場なのだ。

勝てば、自信が骨になる

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勝てば、この野球は県内限定のものではない、とわかる。

近畿でも通じる。その自信は、夏を前にしたチームにとって小さくない。試合の終盤、1点を守るときの呼吸が変わる。打席で追い込まれたときの顔つきが変わる。ピンチでベンチから出る声にも、どこか芯が通る。

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自分たちはやれる、という感覚は、技術ではない。だが、技術以上に試合を支えることがある。県の優勝で得た自信が、近畿で裏打ちされれば、それは夏を支える骨になる。

負ければ、それもまた大きい。何が足りなかったのかがはっきりする。打線のつながりかもしれない。終盤の継投かもしれない。守備の一歩目かもしれない。走塁判断のわずかな遅れかもしれない。

ひと冬を越え、新入生も加わって、県大会を勝ち切ったチームでも、外へ出ればまだ穴が見つかる。夏までに何を削り、何を足すべきか。その輪郭が、負けることでむしろ具体的になる。

近畿で味わった力負けや、ほんのわずかな差で落とした試合は、夏のための痛みになる。その痛みは、暑い7月にふっと効いてくる。春季近畿大会は、勝っても負けても、夏への解像度を上げる大会である。

秋とは違う、春の意味

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実務的な意味でも、この大会は重い。夏の地方大会を前に、チームを実験段階から勝負の形へ移す。そのための実戦の密度が、春季近畿大会にはある。

秋の近畿大会とは意味合いが少し違う。秋はセンバツにつながっている。負ければ終わり、勝てば甲子園が見える。その切迫感がある。

一方で、春の近畿大会は夏の甲子園に直結するわけではない。勝っても新聞の扱いは大きくない。地方のスポーツ欄に、簡潔なスコアと校名が並ぶだけかもしれない。

けれど、その分だけ、この大会の本質はむしろ純粋なのかもしれない。

自分たちの野球が、どこまで通用するのか。県の王者という肩書が、広い舞台でも重みを持つのか。夏の前に、本物かどうかを試される。

春季近畿大会とは、そういう舞台だ。

夏の輪郭が見えはじめる

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春の白球には、夏の匂いが混ざっている。県大会にもそれはある。けれど近畿大会まで進むと、その匂いはもう少し濃くなる。

遠くにあったはずの夏が、急に輪郭を持ちはじめる。県のなかで見ていた夢が、県境を越えて試される。

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県を勝ち抜いた学校が、自分たちの現在地を広い地図の上で知ること。県大会では見えなかった長所と弱点を見つけること。試行錯誤のチームを、勝負できるチームへと変えていくこと。そして、夏の前に、自信と危機感の両方を手に入れること。

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県の春季大会が「始まりの物語」だとすれば、春季近畿大会は、その物語が県境を越える瞬間である。

そこで初めて、自分たちの夢の大きさがわかる。県の大きさなのか。近畿の大きさなのか。もっと先まで届くものなのか。春の終わりの球場で、その答えを知るチームは、夏に少しだけ強くなる。

日本の野球場ランキング〜プロ野球12球団完全制覇

阪神甲子園球場

ルールは同じなのに、野球ほど観る場所によって顔つきの違うスポーツはない。

フェンスの高さ、外野の広がり、内野の土の色。そこに流れる風の形までもが、ささやかな影を落とす。野球場は、ベースボールが最も深く、その土地と手を取り合う場所。

良い野球場かどうかは、2回わかる。最初は、球場の外に立ち、構えを見上げたとき。次は、席に腰を下ろし、グラウンドを眼下に見渡したとき。その光景が、自分の記憶のどこかに静かに触れるようなら、そこはもう「いい球場」だ。

2024年8月27日、福岡ドームに足を運び、ひとつの旅が終わった。プロ野球12球団の本拠地と準本拠地、あわせて13の球場をすべて巡り終えた。

加えて「ひなたサンマリンスタジアム宮崎」「SOKKENスタジアム」「ジャイアンツ球場」を含めた全16球場を、ランキング形式で紹介していく(ベストナインまで。10位以下は順不同)

単なる設備や快適さだけではなく、球場に刻まれた歴史や、開催される大会まで含めて、スタジアムに順位をつけている。

1位:甲子園

甲子園

  • 開場: 1924年(大正13年)8月1日
  • 収容:47,359人(高校野球)
  • 正式名称:阪神甲子園球場
  • 所在地:兵庫県西宮市甲子園町
  • 内野:黒土
  • 外野:天然芝
  • 両翼:95 m
  • 中堅:118 m
  • フェンス:3.0 m
  • 主な大会:高校野球(センバツ、選手権)、タイガース主催試合
  • 球場メシ:甲子園カレー、カチ割り

日本の野球場の盟主は甲子園。企業名も地名もつかない純然たる球場の名前。初代の正式名称は「甲子園大運動場」。ベーブ・ルースが広すぎると嘆いたほど左中間が本塁から137mもあった。現在の正式名称は「阪神甲子園球場」だが通称の「甲子園」がふさわしい。毎日がWBCと形容される阪神タイガースの熱気はランキングに加味していない。あくまで高校野球の聖地としての球場であり、その一点だけで日本の野球場の頂点に立つ。高校野球になると聖地に変わる。

甲子園

聖櫃な空気は高校野球でしか出ない。2023年のWBCの熱狂も、1997年の平安高校の躍進の興奮には及ばない。これまでも、これからも甲子園は日本の野球場の盟主である。

球場メシ

甲子園

開場した 1924年(大正13年)8月1日から歩んできた甲子園カレー。普通のレトルトカレーだが、山小屋で食べる普通のカレーが別格なように、甲子園で食べるカレーは一味違う。

甲子園のかち割り

もう一つの名物が1957年から販売された「かちわり」。発売開始当初は1袋5円。六甲山系の地下水を汲み上げた氷を小さく割ったもの。溶けた氷水を飲み、額に乗せて涼をとる。これがないと直射日光の当たる場所での観戦は死んでしまう。夏の高校野球のみの販売で、タイガースの試合では販売されない。

開催試合

甲子園

選抜高等学校野球大会(春)、全国高等学校野球選手権大会(夏)。この2大会のためだけに甲子園はあると言っていい。2024年8月1日に100周年を迎えた日本最高のフィールド・オブ・ドリームス。

 

2位:東京ドーム

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  • 開場: 1988年(昭和63年)3月18日
  • 収容:43,500人
  • 正式名称:東京ドーム
  • 所在地:東京都文京区後楽
  • 内野:人工芝
  • 外野:人工芝
  • 両翼:100 m
  • 中堅:122 m
  • フェンス:4.24 m
  • 主な大会:侍ジャパン、ジャイアンツ主催、都市対抗など多数
  • 球場メシ:東京ドームドッグ、ジャイアンツ・ソーダ

東京ドームは球場自体の良さはランキング下位になる。怪我の多い人工芝など負の遺産は多い。しかし開催される大会、日本の野球文化を育む卵・BIG EGGとしてのレゾンデートル(存在意義)だけで他球場を圧倒する。

宇宙一のベースボールであるWBCが第1回からすべて開催された球場は世界でも東京ドームだけ。ドームランと揶揄されるように、ボールが飛びやすくホームランの多さは日本一。国際大会を彩る祝砲、打ち上げ花火。

本塁打の多い球場だからこそ、ピッチャーの孤高が際立つ。東京ドームのマウンドはゴルゴダの丘。敗戦投手になるか英雄になるか。ヒッターズ・パークは打撃戦を愉しむ場であり、同時にピッチャーの孤高に耳をすませる球場でもあるのだ。

球場メシ

大阪焼肉ふたご『牛ハラミカレー』『牛テールスープ』1,150円
大阪焼肉ふたご『牛ハラミカレー』『牛テールスープ』1,150円
大阪焼肉ふたご『牛ハラミカレー』『牛テールスープ』1,150円

「火が使えないから東京ドームにうまいものなし」は都市伝説。67店もグルメが並び、名物の東京ドームバーガーと東京ドームドッグはまあまあだが、ジャイアンツ・ソーダは逸品。特におすすめは大阪焼肉ふたご『牛テールスープ』。まだ練習前で人がいないとき体を温めてくれる。

開催試合

アジアCS

アジアCS 2023

WBC、アジアCS、そしてプレミア12。侍ジャパンのトップチームの大会はすべて東京ドームで行われる。都市対抗や大学野球日本選手権も素晴らしいが、WBCやアジアCSなどの侍ジャパンのユニホームが躍動するとき、東京ドームはサンクチュアリになる。This is Field of Dreams

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3位:楽天モバイルパーク宮城

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  • 開場:  1950年(昭和25年)5月5日
  • 収容:31,272人
  • 正式名称:県営宮城球場
  • 所在地:宮城県仙台市
  • 内野:天然芝、黒土クレー
  • 外野:天然芝(ファウルエリアは人工芝)
  • 両翼:100.1  m
  • 中堅:122 m
  • フェンス:2.5m
  • 主な大会:楽天主催、東北学生野球
  • 球場メシ:浅村 栄斗の牛タン弁当

プロ野球の本拠地としてだけ比較するなら圧倒的なナンバーワン。NPBの本拠地では甲子園、神宮球場に次いで3番目に誕生。ジャッキー・ロビンソンやジョー・ディマジオもプレーした宮城球場から歴史を刻み、2016年の大改修で全面が天然芝に生まれ変わった。観覧車が象徴するように、これぞボールパークのお手本、代名詞。1973年から数年間はロッテ・オリオンズが本拠地にしていた。

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JR仙台駅の東口を出て宮城野通り、別称「イーグルロード」を直進。入場ゲートで『Take Me Out to the Ball Game』が流れる外観・内観ともに日本一のボールパーク。画像

メージャーリーグの球場にもない観覧車。メリーゴーラウンドもある「スマイルグリコパーク」。小さな子どもを連れてきたい野球場ナンバーワン。

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夜になると幻想的な雰囲気に変わる。屋外球場の魅力も凝縮した最高のボールパーク。

球場メシ

『浅村 栄斗の牛タン弁当』1,450円

『浅村 栄斗の牛タン弁当』1,450円。ゴールデンイーグルスのホームランの願掛けにぴったり。

開催試合

楽天ゴールデンイーグルスの主催試合、東北学生野球のメッカであり甲子園や神宮球場を沸かせるスターを育んでいる。寒さと風(同じ風速でも寒い分、空気が重い)によりホームランが出にくく、終盤は寒さでクローザーも本来の力を発揮しにくいなか、浅村栄斗のホームラン、松井裕樹の日本最後のセーブを観られたのは財産。

4位:マツダスタジアム

マツダスタジアム

  • 開場:2009年(平成21年)4月1日
  • 収容:33,000人
  • 正式名称:広島市民球場
  • 所在地:広島県広島市
  • 内野:天然芝
  • 外野:天然芝
  • 両翼:左翼101m、右翼100m
  • 中堅:122 m
  • フェンス:2.5m
  • 主な大会:カープ主催
  • 球場メシ:カープうどん

東京、横浜、名古屋、兵庫と都市に集中するセ・リーグの本拠地で、唯一の地方球場が広島にあるマツダスタジアム。この例外が都会の野球場を下剋上する。都会vs.広島の仁義なき戦い。正式名称は「広島市民球場」である。

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球場までの「マツダロード」にはカープ色のローソンがあり、球場の高いメシを逃れ、ここでドリンクやツマミを買うファンが多い。

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内外野の美しい天然芝、グラウンドとの距離が近い。1周600mのコンコースも視界が開け、どこからでもグラウンドが観られるだけでなく、隣のコストコの駐車場や新幹線やJRの車両からも試合が観られるほどオープン。画像

レフトのほうが1mだけ深く、左右非対称はエスコンフィールドとマツダスタジアムの2球場のみ。東北東の向きに造られた唯一の野球場であり、奥には中国山地が連なる。場内の雰囲気といい、台湾の球場に似ている。

球場メシ

マツダスタジアムの球場メシ,球場グルメ
マツダスタジアムの球場メシ,球場グルメ

カープうどん850円。1957年から続く広島のソウルフード。関西出汁と思いきや、少し関東風なのが面白い。コカ・コーラが最も似合うチームであるのは言うまでもない。

開催試合

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相手チームの応援席がファウルゾーンある露骨な嫌がらせが素晴らしい。仁義なき戦い。野球はこうであってほしい。阪神ファンの「あと一球」vs.広島ファンの「ワッショイ」。令和の世でも、昭和の応援合戦で盛り上がる。

 

5位:エスコンフィールド

エスコンフィールドHOKKAIDO

エスコンフィールドHOKKAIDO
  • 開場: 2023年(令和5年)3月14日
  • 収容:36,000人
  • 正式名称:なし
  • 所在地:北海道北広島市Fビレッジ
  • 内野:天然芝
  • 外野:天然芝
  • 両翼:左翼97m、右翼99m
  • 中堅:121m
  • フェンス:2.8m
  • 主な大会:ファイターズ主催、高校野球予選
  • 球場メシ:万塁ホームラーメン

日本の野球場の未来。今後あらゆる球団が造るべきボールパークのお手本。札幌ではなく人口5万6000人の北広島に立つアンビシャスな球場。

エスコンフィールドHOKKAIDO

要塞、北国の帝王の外観。漆黒とガラスの組み合わせのスケール、北海道の大地だからこそ映える。

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球場の外にあるプレイフィールドがボールパークのなんたるかを物語る。

エスコンフィールドHOKKAIDO

高さ70mのガラス壁から差し込むたっぷりの陽光によって天然芝を育てる。クロード・モネが描いた《サン・ラザール駅》のような近代化の鐘が聴こえてくる。セ・リーグ6球団は本州にしかチームがないが、パ・リーグは中央の権力から自由。斬新な発想や規格外が生まれる。外野のポールまでファイターズカラーのブルーなのはエスコンのみ。

エスコンフィールドHOKKAIDO

北側は北海道の伝統的な家屋をモチーフにした重さ1万トンの三角屋根。開閉式ドームになっている。なんという開放感。

球場メシ

伊藤大海のホタテ焼き丼、22時半まで営業している七つ星横丁の『万塁ホームラーメン』。その日に活躍した選手のグルメを堪能し、ワイワイ語らい帰宅できる。

開催試合

日本ハムの主催以外にも、高校野球の予選でも使われる。将来はWBCやプレミア12など侍ジャパンの公式戦も行われるべき球場。

 

6位:ナゴヤドーム

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  • 開場: 1997年(平成9年)3月12日
  • 収容:36,418人
  • 正式名称:ナゴヤドーム
  • 所在地: 愛知県名古屋市東区
  • 内野:人工芝
  • 外野:人工芝
  • 両翼:100m
  • 中堅:122 m
  • フェンス:4.8m
  • 主な大会:ドラゴンズ主催
  • 球場メシ:がぶりもも焼き

得点もホームランも12球団で最も入りにくい問答無用のピッチャーズ・パーク。左右中間の外野フェンスまでの距離が116 mと東京ドームより6mも深く、フェンスの高さ4.8mも横浜スタジアムの5mに次いで高い。画像UFOを思わせる円盤状の不思議な魔力が働くのか、ナゴヤドームを主戦場にした平田良介は「この球場は明らかにボールが飛ばず、フェンス手前で失速する」と公言。野球場の七不思議である。

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70年代、80年代の2度の計画では名古屋駅から徒歩10分の場所にドーム球場を造る計画だった。なぜか電車で30分近くかかる東区に建設。その結果、ナゴヤドーム前矢田駅から直結するドラゴンズロードが生まれた。

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ナゴヤドームの最大の長所は居心地の良さ。ブルーとグリーンのコントラストが美しく、ドームの閉塞感がない。ライトスタンドの5階席は大谷翔平の打撃練習の伝説を生んだ。ナゴヤドームのポールは天井まで伸びている。ホームランかファウルかを判定しやすくするため。落合監督の進言によるもの。

球場メシ

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ナゴヤドームが開場すると、野球ファンは練習見学そっちのけで名物「がぶりもも焼き」を求めて並ぶ。

プレミア12侍ジャパン開幕戦〜オーストラリア代表vs.日本代表

プレミア12の開幕戦でようやく食べられた。スパイシーだけど油が上質。食べ応え満点。

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もうひとつの名物が「球弁(たまべん)」。ホームラン弁当1,300円を食べた日は、2本のホームランを観られた。この縁起のいい弁当のおかげか。ご飯、おかず、どれも絶品。この日も売り切れ。

プレミア12・チェコ代表の侍ジャパンシリーズ強化試合
プレミア12・チェコ代表の侍ジャパンシリーズ強化試合

進化版が満塁ホームラン弁当。見た目の美しさ、作り置きと思えない米とおかずの美味さ。究極の球場弁当。

開催試合

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かつては高校野球の予選や女子プロ野球も行われたナゴヤドーム。2024年、プレミア12で侍ジャパンの公式戦デビューを果たす。今後はWBCの公式戦も行われるか。

 

7位:神宮球場

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  • 開場:1926年(大正15年)10月23日
  • 収容:30,969人
  • 正式名称:明治神宮野球場
  • 所在地:  東京都新宿区霞ヶ丘町
  • 内野:人工芝
  • 外野:人工芝
  • 両翼:97.5m
  • 中堅:120m
  • フェンス:3.3m
  • 主な大会:大学野球日本選手権、大学野球、高校野球など
  • 球場メシ:オリジナル珈琲、レモンスカッシュ

東京ドームと同じく、歴史や開催試合の意義によるベストナイン選出。大学野球のとき、甲子園と同じく見違えるように輝く聖地。所有者は明治神宮。

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歴史は甲子園の次に古く2年後輩。東大の加盟により東京六大学リーグ戦がスタートした1925年の翌年の大正15年(1926年)からスタート。第6回WBCがある2026年に100周年を迎える。

画像 デーゲームであれば一塁側からは国立競技場や新宿の高層ビルが見え、東京ドームより東京の野球場感がある。両翼97.5mはプロ野球の本拠地で最も短く、ホームランは東京ドームの次に出やすい。

神宮球場

やはり神宮球場は学生野球の聖地。

神宮球場

ブルペンがフィールド内にあるのも神宮球場だけである。

球場メシ

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レモンスカッシュ450円が夏を連れてくる。夏を呼ぶ。夏を追い越す。秋の神宮野球大会では内野席に鳩が何羽か歩いて一緒に野球観戦をする。

神宮球場オリジナル珈琲。球場創設時の1926年(大正15年)に日本で流行していたブラジルとジャワ豆のブレンド。酸味と苦味のバランスが優れて高級な味わい。

開催試合

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神宮球場=早慶戦のイメージが強いが、1952年に始まった大学野球日本選手権が一番。大会期間中、神宮球場は東の甲子園に変わる。グラウンドにいる限り、男は何歳になっても野球少年。

8位:サンマリンスタジアム宮崎

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  • 開場:2001年(平成13年)
  • 収容:30,283人
  • 正式名称:宮崎県総合運動公園硬式野球場
  • 所在地: 宮崎県宮崎市大字熊野
  • 内野:天然芝
  • 外野:天然芝
  • 両翼:100m
  • 中堅:122m
  • フェンス:3.4m
  • 主な大会:フェニックスリーグ、WBC合宿など
  • 球場メシ:地産地消ドリンク

プロ野球の球団を持たないのがもったいないほど名球場。福岡ドームにない南国感が広がる。バックスクリーンの頭上に太陽、広大なファウルゾーン、海から吹く風がグラウンドの匂いを連れてきてくれる。

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ジャイアンツ色に染まった無人、改札なしの木花駅から歩いて10分。パームツリーが至る所にあり、球場の周りは地元住民が散歩やジョギングをしている。

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グラウンドや土の匂いが伝わってくる。ここを本拠地とする球団があればと願う。ボールパーク化は大歓迎だが、野球場は余計なものを削ぎ落としたシンプルな構造のほうが良いことも多い。

球場メシ

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WBC合宿の際は露店があるが、フェニックスリーグでは店はなし。球場内の地産地消自動販売機で宮崎県限定のドリンクが買える。秋でも暑いサンマリンスタジアムには冷たいドリンクが何より。

開催試合

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プロ野球の2軍のフェニックスリーグも良いが、やはり春のWBC合宿の場所。侍ジャパンが世界へ羽ばたく滑走路。いつか河津桜が咲き誇る季節に行ってみたい。

9位:西武ドーム

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  • 開場: 1979年(昭和54年)4月14日
  • 収容:31,552人
  • 正式名称:西武ライオンズ球場
  • 所在地:埼玉県所沢市大字上山口
  • 内野:人工芝
  • 外野:人工芝
  • 両翼:100m
  • 中堅:122m
  • フェンス:3.2m
  • 主な大会:ライオンズ主催
  • 球場メシ:ライオンズ焼き

「夏の西武ドーム」「夏のベルーナ」とい季語が存在する野球場。西武球場に屋根をカポっとかぶせた西武ドームは観客を小籠包のセイロのように蒸す。その苦行が特別な体験をつくってくれる。壁がないので日本で唯一「場外ホームランの出るドーム球場」である。

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所沢から西武池袋線に乗り換えると、ぶつかりそうな距離の家々の間を抜け、下山口駅を越えると木々の緑が深くなる。西武新宿駅から387円。1時間1分で着ける。凄いのが駅改札から球場までの近さ。駅近の球場で西武ドームの右に出るものはない。改札を出れば球場は目の前。

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西武ドームの名物がブルペンかぶりつき。ピッチャーの神聖な儀式をファンと共有できる。しかし、ここは打者の球場。横浜スタジアム、グリーンスタジアム神戸に次いで3番目に得点が入りやすく、ホームランの出やすさも東京ドーム、神宮についで3番目。二塁打はハマスタ、千葉マリン、大阪ドームに次いで4番目。三塁打も千葉マリン、甲子園、京セラドームに次いで4番目と日本で最も長打が出やすい。どこを切り取ってもヒッターズ・パーク。

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緑が深く、空気が重い。場内が暗い代わりに白球が見やすい。観客も選手も打球を見失うことがない。内野席に座ると、外野スタンドに差し込む光が眩しい。カラスが飛んで糞を落としていく草野球の匂い、昔の野球の粗野を残してくれる球場。野っ原の匂い、昭和の野球臭、昔のパ・リーグ感が残る。野球場はそれだけで素晴らしい。試合後はグラウンドでくつろげる日もある。

球場メシ

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対戦相手によって味が違う「ラインオンズ焼き」。夏は冷やしあんこが涼をくれる。

西武ドームの球場メシ
西武ドームの球場メシ

コーラもライオンズブルー。埼玉名物・狭山ほうじ茶のソフトクリームも夏の必須スイーツ。

開催試合

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かつては社会人野球や高校野球でも使用されていた西武ドーム。今はライオンズ主催試合がほとんど。この素晴らしい雰囲気をもっと地元密着で開放して欲しい。

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試合後はファンをグラウンドに招いて天井でプラタネリウムなんてあったりする。ライオンの夢よ永遠に。

順不同:グリーンスタジアム神戸

グリーンスタジアム神戸

  • 開場:1988年3月6日
  • 収容:35,000人
  • 正式名称:神戸総合運動公園野球場
  • 所在地:兵庫県神戸市須磨区緑台
  • 内野:天然芝
  • 外野:天然芝
  • 両翼:99.1m
  • 中堅:122m
  • フェンス:2.45m
  • 主な大会:オリックス主催、侍ジャパン壮行試合、少年野球
  • 球場メシ:鶏塩もも

「グリーンスタジアム」の名前が示す全面の天然芝、球場周りを緑の木々が囲む美しい球場を「日本一の野球場」と呼ぶファンは少なくない。目の前の大阪湾から海風が吹き、土煙が舞い上がる。

グリーンスタジアム神戸

特徴はフェンスの低さ。2.4mと日本で最も低い。バッターの打率も得点の入りやすさも横浜スタジアムに次ぐ2位のヒッターズ・パーク。なのにホームランの数は少なく、大阪ドーム、甲子園と同じく関西は本塁打が出にくい。

グリーンスタジアム神戸

マウンドからホームベースまで引かれた土の直線はグリーンスタジアム神戸のみ。野球黎明期の1800年代の形式でメジャーでも少ない。ダグアウトから打者の花道が設けられているのもメジャー仕様。地元では少年野球の大会でも使われるというから贅沢だ。

球場メシ

侍ジャパン 高校代表vs.大学代表
侍ジャパン 高校代表vs.大学代表

球場メシは少なく鶏塩もも。関西は鶏出汁の文化。

開催試合

侍ジャパン 高校代表vs.大学代表

夏の甲子園が終わったあと、高校代表vs.大学代表の試合も行われる。8月のカクテル光線や5回裏のあとの花火も侍ジャパンを祝福する。

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順不同:千葉マリンスタジアム

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  • 開場: 1990年(平成2年)3月24日
  • 収容:29,635人
  • 正式名称:千葉マリンスタジアム
  • 所在地: 千葉県千葉市美浜区
  • 内野:人工芝
  • 外野:人工芝
  • 両翼:99.5m
  • 中堅:122m
  • フェンス:3.3m
  • 主な大会:マリーンズ主催、プレミア12、高校・大学野球
  • 球場メシ:かずちゃんのモツ煮込み

東京湾岸にあり海風が勝敗を左右するザ・屋外球場。バックスクリーンには上空の風速を示す電光掲示板がある。ラッキーゾーンにあたる「ホームランラグーン」が2019年に設置されるまでは強烈な逆風のためパ・リーグで最も本塁打が出にくい球場だった。李承燁(イ・スンヨプ)が打った場外ホームランは今でも神話だ。

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赤土が映え、どこからでも見やすく美しい。12球団の本拠地で唯一、収容人数が3万人を下回る(29,635人)ミニマムさもチャーミング。ファンの熱は、12球団屈指。

千葉マリンは12球団で最も三塁打が出やすく、二塁打もハマスタに次ぐ2位。長打が出やすくヒッターズパークでもありピッチャーズパークという不思議な球場。

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孤島のような、ローマのコロシアムのような佇まい。マイアミの南国感もある。西船橋まで行き、武蔵野線で海浜幕張駅へ。冷房の効いていないプラットフォームには人が溢れ、汗が吹き出す。スタジアムまでは徒歩15分。駅から100円で送迎バスが出ているが、それも行列。夕陽がよく似合い、アクセスが良いと言えないが、他の球場とは別世界が待っている。画像かつて「光の球場」と呼ばれた南千住の東京スタジアムと反対に、千葉マリンスタジアムは照明塔を設置せず球場の円に沿ったLED。それでも此処には光の球場の匂いがある。同じ千葉の舞浜にある夢の国より夢の国である。

球場メシ

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千葉マリン名物モツ煮込みの中でも逸品が『ストライク』で買える「かずちゃんのもつ煮込み」650円。1992年から販売している。全国の球場メシでナンバーワン。

開催試合

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ロッテの主催試合では佐々木朗希の完全試合や山本由伸のノーヒット・ノーランの舞台となった。アマチュア野球の殿堂であり高校、大学、社会人野球の試合も行う。さらには2019年のプレミア12でスーパーラウンドが行われたストライクゾーンの広大な球場である。2023年アジアCSの際も試合前日の練習に開放。日本野球への貢献度は計り知れない。

順不同:横浜スタジアム

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  • 開場:1978年(昭和53年)4月4日
  • 収容:33,912人
  • 正式名称:横浜スタジアム
  • 所在地:神奈川県横浜市中区横浜公園
  • 内野:人工芝
  • 外野:人工芝
  • 両翼:94.2m
  • 中堅:117.7m
  • フェンス:5.0m
  • 主な大会:ベイスターズ主催、全日本少年軟式野球大会
  • 球場メシ:みかん氷

関内駅の赤煉瓦を背に、数メートル歩くと野球場が見えてくる。命名権が溢れる世の中で「スタジアム」に地名が入っているのはハマスタだけになった。球場名から「風」を感じられる。横浜スタジアムの前身・横浜公園球場はベーブ・ルースやルー・ゲーリッグがプレーした。

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昼は赤煉瓦、夜はナイター照明。青空が仕事を終えると闇にうっとり地上の星が光る。屋外球場のナイターは時間を愛でるワインのような恍惚がある。

横浜スタジアム

ハマスタ名物のYの字の照明灯。ブルペンを外野スタンド下に収めたことでフェンスの高さは5メートル。ハマっ子のプライドの高さのように12球団イチの高身長。歴代のプロ野球の球場で最も打率が高く、得点が入りやすい打者有利のヒッターズ・パーク。やたら二塁打が出やすい代わりに三塁打、ホームランが出にくい。野球ファンはスタジアムからの贈り物を受け取り、また野球場に帰ってくる。ハマの風に乗って。

球場メシ

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名物は「みかん氷」。甲子園のかちわりのような清涼を届けてくれる。「東の甲子園」と呼ばれるハマスタにふさわしい。

横浜スタジアムの球場メシ
横浜スタジアムの球場メシ

青星寮カレー900円。目玉チャーハンは今永昇太の好物。ハマには中華が似合う。

開催試合

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ベイスターズの試合以外にも全日本少年軟式野球大会の舞台であり、「東の甲子園」と呼ばれる所以。はじめてハマスタを訪れたのも中学生の軟式全国大会だった。

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スターマンはマスコットの中で12球団イチの可愛さを誇る。マイナスイオンを出し、勝敗がどうでもよくなる不思議なチカラがある。腰にタオルを刺してるのがファッショナブル。地上の星は明日も野球ファンを癒す。

順不同:大阪ドーム

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  • 開場: 1997年(平成9年)3月1日
  • 収容:36,220人
  • 正式名称:大阪ドーム
  • 所在地: 大阪府大阪市西区千代崎
  • 内野:人工芝
  • 外野:人工芝
  • 両翼:100m
  • 中堅:122m
  • フェンス:4.2m
  • 主な大会:侍ジャパン強化試合、バファローズ主催、社会人や旧日本選手権
  • 球場メシ:いてまえドッグ

東京、福岡に続く3番目のドーム球場として1997年に誕生。たこ焼きドームの愛称、スタンドが真円形で、すべての席が二塁ベース後方に向いている。光の照り返しが少なく目に優しい。難波から阪神電車で4分。1時間以内に4万人が捌ける東京ドームと違い、環状線や阪神電車、地下鉄と駅が分散するのに帰りは混む。

侍ジャパンvs.欧州代表〜球春を待ちわびて

6つのリングを重ねた天井は宇宙船に入ったような気分。左右中間がナゴヤドームと同じく116mと深く、二塁打はハマスタ、千葉マリンに続いて3番目に出やすいがホームランが生まれにくい。いてまえ打線のイメージとは逆に、ナゴヤドーム、楽天ボールパークに次いで3番目に本塁打が生まれにくい球場。タフィー・ローズや中村紀洋がいかに凄かったか。

球場メシ

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座席の幅とほぼ同じ長さ、30センチを超える、いてまえドッグ。

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『いてまえ猛牛カレー』1,200円とメロンソーダ300円。どこまでも庶民の味の甲子園カレーと違い、欧風の少し高級感ある味。

開催試合

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社会人野球日本選手権の開催も重要だが、それ以上に侍ジャパンの強化試合の聖地と呼べる。大谷翔平が2本のホームランをかっ飛ばし、ペッパー・ミル誕生の地。2024年の欧州代表との試合ではリレーながら完全試合の伝説が生まれた。関西人としてはWBCやプレミア12の公式戦の開催を望む気持ちもあるが、東京ドームの本戦に上京する前の大事な中継地点を継続してもらいたい。

順不同:福岡ドーム

福岡ドーム

  • 開場:1993年(平成5年)4月2日
  • 収容:40,062人
  • 正式名称:福岡ドーム
  • 所在地: 福岡県福岡市中央区地行浜
  • 内野:人工芝
  • 外野:人工芝
  • 両翼:100m
  • 中堅:122m
  • フェンス:4.2m
  • 主な大会:ホークス主催、2013年WBC
  • 球場メシ:ドームドック、ドームバーガー

日本初の開閉式ドームとして誕生し、2013年WBC1次ラウンドの開幕球場。ドーム球場の建築面積では日本一。4万人以上を収容できるのは甲子園、東京ドームと福岡ドームの3つだけ。高さ68mの屋根。グラウンドを見渡すとコンパスで描いたような真円形のコロシアム球場。最も平成の匂いがする野球場。

福岡ドーム

博多湾に面し、その先には玄界灘。最寄駅は唐人町(とうじんまち)駅。博多駅から地下鉄で11分と少し離れている。

福岡ドーム

Bon Joviの『Because we can』が似合う力強い雰囲気。両翼100m、中堅122m。フェンスの高さが4.2mは大阪ドームと同じスペック。それでも雰囲気が大きく違うから不思議だ。ボールパーク化が進むなかで、巨人とホークスのセ・パ2強はクラシカルな球場を残してほしい。

球場メシ

福岡ドーム球場メシ
福岡ドーム球場メシ

食の街・福岡。球場の周りを23時半まで営業している居酒屋「鷹正」の赤提灯が囲み、ドーム内の球場メシは「スタジアム横丁」で全支配下選手のコラボグルメがある。ドームドッグを食べたが普通。『ギータのチキンガーリックライス』1450円。フルスイング級の美味さ。ニンニク・マッドネスにとってコーラが一瞬に消える。ドームドックとコーラを追加した。

開催試合

モイネロ,ホークス、福岡ドーム

再びWBCやプレミア12の侍ジャパンの試合が行われる日は来るのだろうか。国際都市・福岡には国際試合が似合う。

福岡ドーム

順不同:SOKKENスタジアム

  • 開場:2014年2月(球場の命名)
  • 収容:5500人
  • 正式名称:宮崎市清武総合運動公園
  • 所在地: 宮崎県宮崎市清武町今泉甲
  • 内野:混合土
  • 外野:人工芝
  • 両翼:100m
  • 中堅:122m
  • フェンス:不明
  • 主な大会:プレミア12、アジアCS合宿
  • 球場メシ:釜揚げうどん、宮崎牛の串焼き

人口3万人弱、北には美しい清武川が流れ、南は山頂から日向灘を望む荒平山に挟まれた宮崎市清武町にあるスタジアム。最寄りの清武駅からは徒歩40ほどかかる。黒潮が流れる太平洋まで4キロと近く、雨は多いが温暖な気候から秋の侍ジャパンの合宿地となっている。

名前の「SOKKEN」は郷土の儒学者・安井息軒(やすい そっけん)にちなんだもの。観客席は5,500席と少ないが、両翼100m、センターまで122mあり東京ドームと同じ。内野は完全な土、外野は人工芝。秋は風が強く肌寒い。

侍ジャパンの合宿は世界でもトップクラスの野球を眼の前で、しかも無料で見られる。キャンプは夕方までなので、子どもだけでも観に来られる。こうして野球文化は育つ。

球場メシ

侍ジャパンの合宿中、球場外にSAMURAI PARK(侍パーク)のキッチンカーの出店ができる。侍ジャパンは地域おこしも兼ねている。

「釜揚げうどん」600円と「宮崎牛の串焼き」800円。たまらない美味しさ。クセになう。これぞキャンプ飯。

開催試合

2024年のプレミア12も合宿の舞台。夕陽に照らされ、土煙をまいて滑る。太陽と埃の中で。宮崎で見る野球は胸を締めつけてくれる。SOKKENスタジアムは本戦への向けての滑走路となる。

順不同:ジャイアンツ球場

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  • 開場: 1985年10月4日
  • 収容:4,000人
  • 正式名称:読売ジャイアンツ球場
  • 所在地:神奈川県川崎市多摩区菅仙谷
  • 内野:黒土(クレー舗装)
  • 外野:天然芝
  • 両翼:97.6m
  • 中堅:121.9m
  • フェンス:不明
  • 主な大会:ファーム
  • 球場メシ:ジャイアンツ・キュロス

「ファーム(農場)」と呼ばれるように、日本のプロ野球を育てるのは2軍の野球場である。1軍は収益、2軍は育成。一軍の野球場にはない心地よい泥臭さと真っ直ぐがある。

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ジャイアンツ球場は東京ではなく、神奈川県川崎市にある。京王よみうりランド駅から、よみうりV通り、巨人への道を歩いて球場に向かう。坂がつらく無料の送迎バスが出ているが、巨人ファンは自分の足で登りたい。

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猛暑の屋外球場。夏は16時プレイボールの薄暮の野球が観られる。フィールド・オブ・ドリームスのような夕暮れの中、ナイター照明が灯る。それは選手たちの夢を照らす希望の光である。

球場メシ

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必ず食べたいのがジャイアンツ・キュロス500円。東京ドームで販売しておらず、ジャイアンツ球場のアイデンティティ。Sweet Emotion。

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もうひとつの名物が『多摩のシャモ親子丼』。坂本勇人のお気に入りで、体調が悪いとき東京ドームに届けてほしいと、わざわざ女将さんに頼んだほど。歯応えたっぷりの軍鶏肉は、まさにアスリート飯。出汁が染み込んだ甘めの玉子とバランスがよく、坂本の内角打ちと同じ天才的センス。

開催試合

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岡本和真もジャイアンツ球場を経て東京ドームへと羽ばたいた。次に羽ばたくのは浅野翔吾。未来のジャイアンツ戦士への滑走路。

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若き血と汗が躍動する優勝決定戦は現場で観てこそ。

順不同:西京極球場

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  • 開場:1932年4月
  • 収容:20,000人
  • 正式名称:京都市西京極総合運動公園野球場
  • 所在地:京都府京都市右京区西京極
  • 内野:クレー舗装
  • 外野:天然芝
  • 両翼:100m
  • 中堅:117m
  • フェンス:4.4m
  • 主な大会:高校野球京都大会、立同戦、社会人野球
  • 球場メシ:唐揚げ、コカ・コーラ

西京極球場は、京都の中心から少し西へ外れた場所にある。阪急京都本線・西京極駅から徒歩5分。桂川と天神川に挟まれた運動公園の中に、京都の野球の芯がある。

高校野球 春季大会 平安高校 川口知哉

両翼100m、中堅117m、フェンス4.4m。外野席こそないが、フィールドは甲子園球場なみの器である。内野はクレー舗装、外野は天然芝。6基のナイター照明があり、1965年から京都の夜に白球を浮かび上がらせてきた。

1952年、松竹ロビンスが名目上の本拠地として西京極を登記した。公式戦は6試合にとどまったが、その足跡は現在の横浜DeNAベイスターズへと遠くつながっている。近鉄バファローズ、阪急ブレーブスも準本拠地として公式戦を開催した。京都にプロ野球は根づかなかった。けれど、プロ野球が京都を通り過ぎたことはある。その淡い記憶も、西京極の土には残っている。

球場メシ

高校野球 春季大会 平安高校 川口知哉

地方球場には珍しく、フードコーナーもある。唐揚げ500円、コカ・コーラ150円。さらりとした油、効いた出汁。球場メシとは思えない丁寧な味で、京都の野球場らしく、騒がず、しかし記憶に残る。

開催試合

高校野球 春季大会 平安高校 川口知哉

西京極は、高校野球、大学野球、社会人野球を支えてきた。立命館と同志社が対決する「立同戦」も、この球場を京都の学生野球の舞台にしてきた。高校野球では、甲子園への関門である。京都を勝たなければ、甲子園へは行けない

西京極を語るとき、平安高校を避けて通ることはできない。全国最多の甲子園出場回数を誇る「HEIAN」は、甲子園の前に西京極を越えてきた。平安があったから、西京極の夏は重くなった。

高校野球 春季大会 平安高校 川口知哉

西京極球場は、京都の野球の記憶装置である。甲子園ではない。けれど、京都の夏が一度ここで息を整え、甲子園へ向かうための球場である。

野球場で逢おう

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「野球」は「野っ原でやる野生の球技」。野球場はワインの畑(テロワール)のように文化を育む土壌。良い野球場からは良い野球が生まれる。日本の野球が母国アメリカをも凌ぐほど素晴らしいのはイコール野球場の素晴らしさ。野球場の多くが川や海の近くに造られる。野球選手も野球ファンも川や海を渡る旅人。野球場は未来への大航海の港。野球場で逢おう。

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西京極球場〜京都野球の夢の入り口、平安高校の重い夏

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西京極球場は、京都の中心から少し西へ外れた場所にある。

阪急京都本線・西京極駅から歩いて5分。桂川と天神川に挟まれた京都市西京極総合運動公園の中に、その野球場は置かれている。隣には陸上競技場があり、周囲には緑が多い。京都の華やかな顔とは少し違う、運動公園の静かな空気がある。

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正式名称は、京都市西京極総合運動公園野球場。

京都府京都市右京区にあるこの球場は、市が所有し、京都市スポーツ協会が運営管理を行っている。収容人数は20,000人。プロ野球の本拠地球場のような巨大さはない。だが、グラウンドに目を移すと、その印象は変わる。

両翼100m。中堅117m。フェンス4.4m。数字だけを見れば、甲子園球場なみの器である。外野席がないため収容は20,000人にとどまるが、フィールドそのものは広い。内野はクレー舗装、外野は天然芝。ナイター照明設備は6基。マウンドの傾斜は浅い。

ここは、京都の野球の記憶を深く吸い込んできた。

高校野球 春季大会 平安高校 川口知哉

西京極球場が設置されたのは、1932年、昭和7年4月である。まだプロ野球が形を整える前であり、テレビ中継もなく、ナイターの光も一般的ではなかった時代。その頃から、この場所には白線が引かれ、選手たちが走り、観客が集まっていた。

以来、西京極球場は立命館と同志社が対決する「立同戦」など、高校野球、大学野球、社会人野球など、京都の野球をいくつもの層で支えてきた。

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西京極は、平安京の西端にあった南北道路「西京極大路(にしきょうごくおおじ)」が通っていたことに由来し、「西の京の極み」に位置する土地として名付けられ場所。京都の中心部ではなく、西の端に近い場所に、京都の野球の中心が生まれたのである。

広すぎた両翼

高校野球 春季大会 平安高校 川口知哉

西京極球場の両翼は100mある。1932年に開場した当時の野球場としては、かなり広かった。広すぎた、と言ってもいい。のちに両翼にはラッキーゾーンが設置され、距離は92mとされた。

長打を生みやすくするための、時代の工夫である。いまの感覚では、両翼100mは標準的な広さに見える。だが、戦前から戦後にかけての野球場において、この広さは相当に大きかった。野球という競技の変化、選手の体格の変化、バットやボールの性能、打球の飛距離。そうしたものに合わせて、球場も姿を変えていった。

1987年、昭和62年、ラッキーゾーンは撤去され、西京極は、本来の広さを取り戻した。

1965年、昭和40年3月にはナイター設備が設置された。西京極に夜の野球が訪れる。

京都の空が暮れ、6基の照明がグラウンドを照らす。クレーの内野が黒く沈み、外野の天然芝が灯りを受ける。白球だけが夜の中に浮かび上がる。そんな時間が、この球場にも生まれた。

プロ野球が通り過ぎた京都

高校野球 春季大会 平安高校 川口知哉

西京極球場は、プロ野球とも関わりを持っている。松竹ロビンスは、1952年のフランチャイズ制度導入後、名目上の本拠地としてこの球場を登記した。もっとも、実際に開催された公式戦は6試合にとどまった。

松竹ロビンスは、その後、大洋ホエールズと合併し、洋松ロビンスを経て、現在の横浜DeNAベイスターズへとつながっていく。

京都に、プロ野球の本拠地球団は根づかなかった。だが、プロ野球が京都を通り過ぎたことはある。

近鉄バファローズと阪急ブレーブスも、西京極を準本拠地と位置づけ、年間数試合の公式戦を開催していた。大阪や兵庫を本拠とする球団が、京都へやってきて試合をする。そういう時代があった。

京都・西京極「ROND.E(ロンデ)」〜グラウンドの向こうの"和"のハンバーガー

球場の前には、ロンデという小さなハンバーガー屋がある。白い壁と木の扉、サイフォン珈琲の香り。カウンターの奥には、物腰のやわらかなマスターがいる。
「野球、まだ時間あるでしょ。ゆっくりしてってくださいね」と、急かさず、押しつけず、こちらの時間を少し広げてくれる人である。

京都・西京極「ROND.E(ロンデ)」
ハンバーガーは、バンズが主役だ。表面はさっくり、内側はふわり。噛むと小麦の甘みが立ち、パテやチーズの旨みを静かに受け止める。アメリカの濃い味で押すのではない。京都の喫茶店が、長い時間をかけて磨いてきた、やさしいハンバーガーである。

甲子園への関門

高校野球 春季大会 平安高校 川口知哉

京都の高校球児にとって、西京極球場は特別な場所だ。

甲子園という全国の舞台、その前に地方大会がある。京都を勝たなければ、甲子園へは行けない。その京都大会の中心にあったのが、西京極球場だ。

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西京極の土は、京都の球児たちにとって「甲子園への関門」であり続けた。春から夏へ向かう時間。各校の3年生に残された最後の大会。勝てば次へ進む。

太陽と土と風が交差する夢の入口。それが、西京極だった。

バックネット裏から見ると、。大観衆の圧力というより、京都の目がじっと注がれているような球場である。

ここで勝つことは、ただ一試合に勝つことではない。

京都を抜けることである。京都の夏を背負うことである。

平安という名前

高校野球 春季大会 平安高校 川口知哉

西京極球場を語るとき、平安高校を避けて通ることはできない。全国最多の甲子園出場回数を誇る「HEIAN」。その歴史には、甲子園だけでなく、その前に西京極がある。

甲子園で平安が強いということは、京都で平安が勝ち続けてきたということである。京都大会を勝ち抜くたびに、西京極の土を踏んできたということである。

平安にとって西京極は、甲子園の前に立ちはだかる、最も近くて、最も厳しい舞台。

両者は、京都の野球文化とアイデンティティをともにつくってきた双対の存在。西京極があったから、平安の京都大会の歴史があった。平安があったから、西京極の夏には特別な重みが生まれた。

勝って当然という重さ

高校野球 春季大会 平安高校 川口知哉

名門は、勝っても驚かれない。その代わり、負ければ騒がれる。平安にとって、西京極の決勝戦はそういう舞台。

「勝って当然」

この言葉ほど、高校生にとって重いものはない。勝てば、やっぱり平安。負ければ、どうした平安。周囲の視線は、いつもそのどちらかである。

全国最多の甲子園出場を誇る学校には、誇りがある。その誇りは同時に呪縛でもある。

平安の選手たちは、西京極でただ相手校と戦っていたのではない。平安という名前とも戦っていた。過去の先輩たちの実績、京都の観客の期待、他校からの反発、自分たちが勝たなければならないという空気。その全部を背負って、グラウンドに立っていた。

名門であることの重さを受け止め、それでも身体を動かすことができるかどうか。西京極は、それを問う場所だった。

平安を倒すという感情

高校野球 春季大会 平安高校 川口知哉

京都の高校野球には、平安を中心にした感情がある。

応援。尊敬。嫉妬。反発。憧れ。敵意。そのすべてが混じっている。

名門とは、愛されるだけの存在ではない。倒されることを望まれる存在でもある。平安に勝てば、それだけで歴史になる。平安を追い詰めれば、球場の空気が変わる。平安が負ければ、京都大会が揺れる。それほどまでに、平安は京都高校野球の中心にいる。

西京極球場は、その感情が集まる場所だ。

強い学校とは、そういう存在である。好きか嫌いかを超えて、そこにいるだけで大会の意味を変えてしまう。平安が出る試合には、人が集まる。それは、平安が京都にとって特別だからである。

西京極球場は、京都の野球の記憶装置である。ここに、京都の野球の芯がある。西京極とは、京都の夏が一度ここで息を整え、甲子園へ向かうための球場である。

野球のキャッチャー(捕手)の孤座〜ダイヤモンドの外側で、九人の呼吸を束ねる黒子

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キャッチャーは「捕手」と書く。

投手が投げたボールを捕る人間である。言葉にすれば、それだけのことに見える。だが、野球場で捕手ほど奇妙な場所に置かれた選手はいない。

九人の中で、ひとりだけファウルゾーンにいる。

ひとりだけ座っている。

ひとりだけ、他の8人と違う方向を向いている。

内野手も外野手も、ホームベースのほうを向いて守る。投手も打者へ向かって立つ。捕手だけは、グラウンド全体に背を向け、観客にも背を向け、マスクで顔を隠している。

その姿は、舞台演劇の黒子に似ている。

誰よりも試合を見ているのに、誰よりも顔が見えない。誰よりも声を出しているのに、誰よりも表情を消している。野球という舞台で、捕手は主役ではない。だが、主役を立たせ、場面を動かし、芝居を成立させる。

最も高い丘のマウンドには、投手の孤高がある。キャッチャーは最も低い位置で、そのボールを待つ。ホームベースの後ろには、捕手の孤立がある。野球というスポーツは、孤独の連鎖で成り立っている。

キャッチャーとは?基本的な役割

f:id:balladlee:20260514200652j:imageキャッチャーは捕手とも呼ばれ、守備番号は「2」である。

守る場所はホームベースの後ろ。投手のボールを受け、配球を組み立て、盗塁を刺し、バントを処理し、ファウルフライを追い、ワンバウンドを止め、本塁を守る。

仕事は多い。

投手をリードする。相手打者を読む。走者を警戒する。守備位置を確認する。審判のストライクゾーンを感じる。ベンチの意図を汲む。試合の流れを読む。さらに、自分の打席では打たなければならない。

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捕手は、守備の選手でありながら、戦術の選手である。

野球の特殊性を最も象徴するポジションは、キャッチャーである。ピッチャーも内野手のひとりと言える。外野手と内野手は、フィールドの中に立っている。だが捕手だけは、ダイヤモンドの外側にいる。外にいながら、中心を動かしている。

捕手は、フィールド内の監督である。

ひとりだけ座る者

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捕手だけが座って守る。これは、よく考えると不思議なことだ。

他の野手は、足で反応する。投球のたびに構え、打球の瞬間に動き出す。だが捕手は、膝を折り、腰を落とし、ミットを構え、100キロを超える白球を待つ。

その構えには、相撲の立ち合いに似た緊張がある。

低く、強く、静かに待つ。次の瞬間、豪速球が飛んでくる。ミットが鳴る。身体は動かない。まるで最初からそこへ来ることを知っていたように、捕手はボールを受け止める。

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いい捕手には、横綱の雰囲気がある。動じない。慌てない。騒がない。

どれほど速い球でも、どれほど鋭く曲がる球でも、そこに身体を置き、ただ受ける。投手が荒れても、試合が揺れても、捕手が先に揺れてはいけない。

捕手の座り姿は、守備姿勢であると同時に、精神の姿勢でもある。

黒子としての捕手

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捕手は、顔を隠す。

マスクをかぶり、プロテクターをつけ、レガースを巻く。素顔よりも、防具の印象のほうが先に来るポジションである。

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その姿は、野球場の黒子である。投手が三振を取れば、歓声は投手へ向かう。内野手が好捕すれば、拍手は内野手へ向かう。外野手が本塁補殺をすれば、肩の強さが称えられる。だが、その前にどんな配球があり、どんなサインが出て、どんな意図でその球を選んだのか。

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捕手の仕事は、成功すれば投手の手柄になる。失敗すれば、配球を問われる。理不尽なポジションである。しかし、その理不尽さを引き受けられなければ、捕手は務まらない。自分が目立つことより、投手を気持ちよく投げさせること。チームを勝たせること。失点を小さくすること。

黒子とは、消える技術を持った人間のことだ。捕手は、顔を隠して試合を動かす。

現在のようなキャッチャーマスクが日本で登場したのは1890年代。1877年にアメリカではフェンシングのマスクをヒントに考案されたが、日本では剣道のマスクがモデル。野球と侍の関係は黎明期からはじまっていた。

女房役では足りない

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捕手はよく「女房役」と呼ばれる。

投手を支え、励まし、導く存在。たしかに、アマチュア野球ではその言葉がしっくり来る場面もある。ひとりのエースとひとりの捕手が、長い時間をかけて呼吸を合わせる。互いの癖を知り、感情を知り、勝負どころを共有する。

だが、プロの捕手はそれだけでは足りない。

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プロの捕手は、何人もの投手を受ける。

先発、中継ぎ、抑え。速球派。技巧派。制球型。荒れ球の投手。変化球でかわす投手。気が強い投手。繊細な投手。すぐ熱くなる投手。沈み込みやすい投手。

10人以上の投手をリードしなければならない。

ひとりの夫に献身する「女房役」というより、相撲部屋の女将さんに近い。

全員の個性を見極める。癖を覚える。長所を引き出す。機嫌を整える。勝負させる。時には叱る。時には黙って受ける。投手ごとに言葉を変え、間を変え、要求を変える。

捕手は、投手を管理するのではない。

投手を生かす。そこに、捕手の難しさがある。

土になる捕手

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投手は、基本的にプラス思考の生きものである。

次も抑えられる。もっと強い球を投げられる。ここで三振を取れる。打者をねじ伏せられる。そう思わなければ、マウンドには立てない。投手は、自分の球を信じることで前へ進む。一方で、捕手はマイナス思考でなければならない。

この球が甘く入ったらどうなるか。走者がスタートを切ったらどうするか。四球を出したら次は誰か。ここで長打を浴びれば何点入るか。投手が最悪を忘れたとき、捕手はそれを覚えていなければならない。

投手は可能性を見る。捕手は危険を見る。そのふたりが揃って、バッテリーになる。

山本祐大は、捕手という仕事を「土」にたとえている。

「捕手は、花のように目立つ存在ではないかもしれません。でも花を咲かせるためには、しっかりとした土が必要です。僕は投手やチームメイトを支える“土”になりたい。彼らが輝くために、自分の役割を果たすのが捕手だと思っています」

この言葉は、捕手というポジションの本質をよく表している。

花は見える。土は見えにくい。けれど、土がなければ花は咲かない。根を張る場所がなければ、茎は伸びない。水を含み、踏まれ、陽に焼かれながら、それでも黙って支えるものがあるから、花は空へ向かうことができる。

捕手は、チームの土である。花のように派手に見える存在ではなくても、しっかりと根を張り、花を咲かせるために必要な土台になる。

投手が輝けるように。野手が力を発揮できるように。チームが勝負の場に立てるように。そのために、捕手はホームベースの後ろに座る。目立つためではない。咲かせるためである。

リードという見えない仕事

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キャッチャーの仕事で最も語られやすく、最も見えにくいのがリードである。

次に何を投げるのか。ストレートか。変化球か。内角か。外角か。高めか。低めか。勝負するのか。外すのか。打たせるのか。空振りを狙うのか。ファウルで稼ぐのか。

正解は、ひとつではない。

打者の特徴がある。投手の調子がある。カウントがある。走者がいる。点差がある。イニングがある。審判のゾーンがある。グラウンドの状態がある。そのすべてが、次の一球に入り込む。

よく「アウトロー」と言われる。外角低め。たしかに、打者が打ちにくいコースである。だが、そこを正確に突くには高い制球がいる。外角低めを要求すれば安全、というほど野球は単純ではない。

非力な打者なら、伸びのあるストレートで高めを攻められることもある。内角を見せなければ、外角は生きないこともある。変化球が浮いている日には、いつもの組み立てを捨てる必要もある。

配球は、教科書ではなく、現場である。捕手は、投手のその日の身体と、打者のその日の目を見ながら、次の一球を選ぶ。

失点を小さくする力

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捕手の理想は、無失点で抑えることだ。だが、野球は理想だけでは進まない。一死三塁。強打者。外野は前進。内野も前進。ここで一点を防ぎにいくのか。それとも一点は仕方ないと見て、大量失点を防ぐのか。捕手には、その見極めが必要になる。

すべての失点を拒もうとすると、試合を壊すことがある。

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四球を出す。甘く入る。長打を浴びる。ひとつの失点を恐れすぎて、三点、四点を失う。捕手は、ときに一点を受け入れなければならない。だが、二点目を許してはいけない。流れをそこで止めなければならない。

守備の指揮官とは、ただ強気であればいいわけではない。引く勇気もいる。

1997年の平安高校で、捕手の山田は、強気の川口知哉を冷静にするよう常に心がけていたという。強い投手ほど、前へ行きたがる。押したがる。ねじ伏せたがる。捕手はその力を殺さず、暴走させず、勝負の形へ整える。

捕手は、投手の炎を消すのではない。

燃え方を決める。

ミットは嘘をつかない

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捕手のミットは、投手の状態を最も正直に語る。

球が走っているか。指にかかっているか。抜けているか。沈んでいるか。浮いているか。曲がりが鋭いか。腕が振れているか。

投手本人より先に、捕手のミットがそれを知ることがある。

ミットは嘘をつかない。

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いい球は、いい音がする。重い球は、手の奥に残る。荒れている球は、捕手の身体を動かす。変化球の抜けは、捕る前に空気でわかることもある。

捕手は、ただ捕っているのではない。

受けながら診断している。一球ごとに投手を測り、次の要求を変える。今日はスライダーが抜ける。フォークが落ちない。ストレートは高めに力がある。カーブでカウントが取れる。そうした感覚は、データだけでは得られない。

捕手の手のひらには、試合の体温が残る。

キャッチャーミットは、革と紐でできた道具である。その革の奥には、数えきれない汗と練習の跡が染みついている。ブルペンで受けた球。試合前に確かめた球。荒れた投手を落ち着かせるために構えた球。勝負どころで、もう一度だけ信じて要求した球。

そのすべてが、革の内側に残っている。

ピッチャーの球を受け止めることは、単にボールを捕ることではない。

覚悟を受け止めることだ。

人生を受け止めることだ。

投手がマウンドで積み重ねてきた時間、敗戦の悔しさ、勝ちたいという叫び、逃げたくないという意地。そうしたものが、白球に乗って飛んでくる。捕手はそれをミットで受ける。

チームの夢が、叫びが、祈りが、革の内側で震える。

キャッチャーミットは、夏を受け止める。

ミットの音は、ただの捕球音ではない。投手と捕手が、まだ勝負を続けるという合図である。捕手の防具は、飾りではない。痛みを引き受けるための道具である。

盗塁を刺す技術

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甲斐キャノン。ムーチョ。大城卓三。

強肩の捕手は、それだけで観客を沸かせる。二塁へ矢のような送球が伸びる。走者が滑り込む。タッチが入る。アウト。球場が揺れる。

だが、捕手の盗塁阻止は、肩の強さだけではない。捕ってから投げるまでが速い。ここに、技術の本質がある。

投球を受ける。握り替える。立ち上がる。ステップする。投げる。この一連の動作が、驚くほど短い。無駄がない。投手のフォームより美しく見えることさえある。

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捕手の送球は、全身の連動である。

ミットの位置。右手の入り方。足の運び。体重移動。肩の角度。二塁ベース上の野手が捕りやすい高さ。すべてが一瞬でつながる。

強肩とは、遠くへ投げる力だけではない。早く、正確に、捕りやすい球を投げる力である。

本塁を守る者

捕手は、本塁を守る。

野球の守備位置の中で、最も得点に近い場所を守っている。どれほど打球を処理しても、どれほど中継をつないでも、最後に走者が帰ってくる場所はホームベースである。

そこに捕手がいる。

外野から返球が来る。三塁走者が突っ込んでくる。送球がそれる。バウンドする。捕手はボールを捕り、走者の進路を見て、タッチする。以前のような激しい本塁衝突は制限されるようになったが、それでも本塁上のプレーには独特の緊張がある。

捕手は、得点を許すかどうかの最後の門である。一塁手がアウトの終着点なら、捕手は失点の終着点である。

ボールがミットに入る。走者が滑る。砂が舞う。審判の手が上がる。その一瞬に、試合の重さが集まる。

打撃というもうひとつの仕事

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捕手にバッティングは不要だ、と言われることがある。

守備でこれほど多くの仕事をしているのだから、打撃は多少目をつぶってもいい。そう考えたくなる気持ちはわかる。捕手は疲れる。膝にくる。頭も使う。投手を支え、試合を読み、身体を張る。そのうえ打てというのは、あまりに酷にも見える。

しかし、打席は回ってくる。チャンスでも回ってくる。

下位打線であっても、得点圏で一本が出なければ試合には勝てない。捕手の打撃成績は、やはり生命線である。守れるだけでは、試合に出続けることが難しい時代もある。

捕手は、守備で消耗した身体のまま打席に立つ。

さっきまで相手打者の配球を考えていた頭で、今度は自分が配球を読まなければならない。相手捕手の意図を読む。投手の癖を見る。自分の打撃をする。

捕手は、打席でも捕手である。

相手の考えを読みながら、バットを振る。

プエルトリコの憧れ

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国によって、憧れのポジションは違う。

日本では、ピッチャーに憧れる少年が多い。エース。マウンドの中心。試合を背負う存在。だが、プエルトリコでは捕手が人気のポジションだと言われる。

理由のひとつは、名捕手を多く輩出してきた歴史にある。

ホルヘ・ポサダ。イバン・ロドリゲス。ヤディエル・モリーナ。

彼捕手というポジションが単なる裏方ではなく、チームの知性であり、誇りであり、勝敗を動かす存在であることを示した。特にモリーナのような捕手は、守備、肩、リード、存在感のすべてで、捕手の価値を世界に見せた。

プエルトリコでは、捕手が憧れになる。

顔を隠し、座り、痛みを受け、投手を支え、試合を読む。その黒子のような仕事に、子どもたちが憧れる。野球という競技の奥行きが、そこにある。

捕手は、見えにくいからこそ深い。

コラム:捕手は、野球の土壌である

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キャッチャーは「捕手」と書く。

捕る手。その名の通り、投手のボールを捕る。だが、捕手が捕っているのは白球だけではない。投手の感情を捕る。打者の気配を捕る。走者の企みを捕る。試合の流れを捕る。捕手は、野球の黒子である。

舞台の真ん中にいるようで、少し外にいる。ホームベースの後ろ、ファウルゾーンにひとり座り、マスクで顔を隠している。観客に背を向け、グラウンドに向かい、八人とは反対の方向を見る。

その姿は、孤独である。その孤独の中に、野球の多くが詰まっている。

投手は、不思議な生きものだ。

ボールを操るのは手なのに、下半身ばかりを鍛える。走る。走り込む。どこへ向かうでもなく、グラウンドを回る。人生のメリーゴーラウンドのように、同じ場所を何度も巡る。その単調な時間の先に、マウンドの孤高がある。

捕手は、その孤高を受け止める。

速球を受ける。

変化球を受ける。

怒りを受ける。

不安を受ける。

強がりを受ける。

投手が投げたものを、捕手はミットで受ける。投手が投げられなかったものも、捕手は沈黙で受ける。

だから捕手は、ただ優しいだけでは務まらない。投手を励ますこともある。突き放すこともある。首を振られても、もう一度同じサインを出すこともある。強気の投手を冷静にし、弱気の投手を前へ押す。甘やかすのではなく、生かす。

捕手とは、野球場の最も低い場所で、九人の孤独を受け止め続ける人間のことである。

野球のポジション

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