1990年に刊行された山際淳司さんの『野球雲の見える日』に「忘れられた殿堂」という一遍がある。後楽園球場から東京ドームに移転する前の野球殿堂博物館を描いた短いコラム。1959年(昭和34年)6月12日、 後楽園球場横に開館。山際淳司さんは60年代から70年代の学生時代に訪れ、当時は「野球体育博物館」という名前だった。入館料は200円。今は600円に上がっている。初めて巨人の試合を観るため大和(奈良)から深夜バスに乗って東京ドームに来た20年前は、たぶん300円くらいだったと記憶している。どんな展示物があったのかすら忘却の彼方だが、6月にWBCの侍ジャパン特別展があったので久しぶりに訪れた。
2023年6月 WBC侍ジャパン特別展
壁の向こう側では巨人vs.楽天の交流戦が行われている。同じカードを7、8年前に東京ドームで観た。楽天のエース則本昂大に3安打完封を喰らった悪夢を思い出す。時間はあるのでリベンジに挑んでも良かったが、野球を途中から観る気がしないので博物館だけ。ちなみに試合は巨人が再び負けた。殿堂博物館のチケットは予約制。事前にローソンで取っておいた。少し早く水道橋に着いたのでドームの隣のWINSで馬券を買い時間を潰した。たまにやる競馬は当たらない。
日曜の昼下がり、やる気の見えない年配の男性にチケットを切ってもらうと、地下に向かって階段を降りる。山際淳司さんの時代は白衣を着た女性スタッフだった。博物館は2階、3階に上がっていくものだが、アンダーグラウンドに設置しているところが妙。こんな所に来るのは余程のマニア、野球バカという印だろう。
殿堂入り表彰
最初の展示物は、その年の殿堂入りの表彰。今年はアレックス・ラミレス、ランディ・バース、そして古関 裕而(こせき ゆうじ)の3人。ラミレスとバースが同じ年に殿堂入りするのも奇妙だが、古関氏が殿堂入りしていなかったのは意外だ。高校野球の『栄冠は君に輝く』、巨人の『闘魂こめて』、阪神の『六甲おろし』の作曲など、日本の野球を音楽で彩ってきた第一人者。今年の殿堂入りは遅すぎる。来年、甲子園の生誕100周年を迎えるから慌てて滑り込ませたのかもしれない。
次に現れるのが、プロ野球12球団の現役選手の用具の展示。
野球の誕生から時系列に並べがちだが、現役選手をリスペクトするところが素晴らしい。
先人たちの軌跡は尊いが、最もリスペクトされるべきは戦場で血と汗を流し、"今"を支える現役なのだ。
野球の歴史
先に進むと、いよいよ「殿堂」が顔を出し日本の野球の歴史がはじまる。ここでもプロ野球の展示物。王貞治が荒川コーチとの特訓で使った日本刀なんて物騒なものもある。
1936年(昭和11年)、日本初のプロ野球リーグ『日本職業野球連盟(NPBL)』のフラッグ。この瞬間から打倒アメリカ野球の歴史は始まった。
名古屋軍のペナント。第1回日本職業野球リーグ戦(春季)の最多勝は、実は今の中日ドラゴンズ(巨人はアメリカ遠征で参加せず)であることは、あまり知られていない。
プロ野球ファンなら誰しも耳にしたことがある「赤バットの川上、青バットの大下」の本物のバット。これは興奮する。こんなんナンボあってもいいですからね。
1936年の大阪タイガースのポスター。自分が小学4年生で最初にファンになった球団は阪神だった。やっぱりタイガースは大阪が似合う。
ここから野球の伝来。1871年(明治4年)、ホーレス・ウィルソンが当時の東京開成学校予科(後の旧制第一高等学校、現在の東京大学)でベースボールを教えたことが日本野球のはじまり。鉄砲やキリスト教の伝来と同じく、その時歴史が動いた。
これも知られていないが、日本野球の興りは大学野球であり、現在では野球が弱い学校の代名詞である東大からはじまった。
1903年(明治36年)に早慶戦がはじまり、大学野球が盛んになるまでは一高(東大)の天下。今年の秋の六大学野球は東大の試合を観に行きたくなった。
明治時代は「球遊ビ」「打球おにごっこ」という名で野球が全国的に広まった。野球の最初はグラブがなく、素手で硬い球を捕球して怪我に悩まされていた。グラブが米国で使われたのは1870年代であり、日本では1900年代頃から。当時の用具を再現した展示物が神々しい。
高校野球、早慶戦、社会人野球、そしてベースボールの誕生と、野球ファン垂涎の展示物が並ぶ。全部紹介していると、待てど暮らせどWBCにたどり着かないので別の機会で紹介したい。
侍ジャパン特別展
奥に進むと、ついに国際大会の展示が始まる。日本の野球は国内の対決と外国人の戦いの二刀流。オリンピックやプレミア12の軌跡も尊い。それにしても、昔の日本代表のユニホームは、お世辞にもカッコいいとは言えない。野球=ダサいイメージがあったそのまま。
そして、いきなり今年のWBCのユニホーム展示。この不意打ち感がいい。今年の侍ジャパンの展示に説明は要らない。写真を並べるだけ。
そして真打。優勝トロフィー。重さ12.7キロ、高さ61センチ。ティファニー社の工房で職人による手作業で5ヶ月かけて制作された。侍ジャパンの激闘がこの聖杯に詰まっている。
あれ?これだけか?と思いきや、奥に展示ルーム。貴重な選手の武具が並ぶ。まさかのペッパーミル。
昨年まではシンプルな縦縞だったが、今年のWBCユニホームは紅と濃紺が螺旋状になった縦縞のピンストライプ。見事なデザイン。イチローがいた頃はビジターのほうがカッコよかったが、2023年は圧倒的にホームユニホームのほうが輝いている。
ありがたいのは向かいの部屋に過去のWBCの展示物があったこと。
イチローのユニホームは重力が全然違う。17年前よりも熟成されている。
やはり今のところ、WBC=イチロー。これから大谷翔平が塗り替えて欲しい。
記念すべき産声をあげた開幕戦の中国戦のボール。あのとき東京ドームにいたのは生涯の誇り。
松坂大輔の18番も勇ましい。6試合に登板して6勝の記録は2度と破られないと思うが、このエース番号を超えるピッチャーが現れてほしい。3年後も山本由伸だろうか。それとも別の侍が背負うのか。
うれしい発見が上原浩治のグローブがナイキだったこと。知らなかった。第1回大会の準決勝・韓国戦を超えるピッチングは今も現れていない。2017年アメリカ戦の菅野智之が双璧。
WBCの中では辛い歴史でもあるが、2013年の阿部慎之助のヘルメットもカッコいい。やはりWBCはすべての野球人の憧れであって欲しい。2026年も優勝トロフィーを見に野球殿堂博物館を訪れよう。いつかまた、プレイボール。
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侍ジャパン 2024年の活躍・甲子園100年のあゆみ
2024年10月27日(日)。プレミア12・侍ジャパンの宮崎合宿に向かう前に野球殿堂博物館を訪れた。2024年の侍ジャパンの軌跡を展示している。
2024年の殿堂入りは黒田博樹、谷繁元信、プロ野球審判の谷村友一氏。
侍ジャパン 2024年の活躍
入場料600円(現金のみ)を払い、階段を地下に降りると、いきなりの侍ジャパン。
令和6年は15歳、23歳、女子がワールドカップで優勝。プレミア12は全世代の成績の上位12国が出場できる大会。いよいよトップチームが今年最後の世界大会に挑む。
第3回プレミア12の優勝トロフィー。銀メッキ・真鍮製のトロフィーに24金メッキが施されている。高さ78センチ、底面の直径35センチ、重さ12キロ。優勝トロフィーを見ると何としても優勝して欲しくなってきた。
歴代の侍ジャパン
2019年の優勝トロフィー。優勝メダル、優勝ボール。2024年も加わるか。
2019年の決勝戦・山田哲人の逆転ホームランのボールがあるのは貴重。
昨年のアジアCSの優勝トロフィー、4カ国の帽子、優勝ボール。
2023年WBCの優勝Tシャツとキャップ、優勝メダル。さすがWBCは格の違いがある。
歴代優勝トロフィーが並ぶと壮観。プレミア12も積み重ねてほしい。
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阪神甲子園球場 100年のあゆみ
2024年に100周年を迎えた甲子園球場の軌跡。
原田監督が着用した平安高校のユニホーム。肩の部分には「龍谷大」が入っているが、正面は「HEIAN」を守った。
平安のキャップ。
ライバル智辯和歌山。中谷仁の着用ユニホーム。選手時代ではなく監督時代。
甲子園の土。黒土、砂、ブレンドしたもの。土や芝生に関しては別記事で。
ピッチャープレート。他の球場の場合はある厚み。
暑さ16センチ、重さ約30キロの特注のゴムのホームベース。やっぱり甲子園は特別だ。
常設展示:野球の殿堂
野球殿堂博物館に寄ったら常設展示も見てほしい。歴史に触れるとともに、展示物も変わる。
ファウルゾーンがない頃の野球黎明期のグラウンド。この環境で草野球をやってみたい。
マイアミ・マーリンズ時代のイチローのユニホーム。まさか自分がマーリンズのファンになるとは思わなかった。イチローのユニホームは今もローンデポ・パークで展示されている。
去年のイチローの女子野球との草野球。今後は女子野球が野球界の未来の鍵となる。
女子の活躍といえば、今後重要になるベースボール5(ファイブ)。道具や場所の制限がない野球は競技人口が減り続ける中で重要な救世主になる。
昨年と今年の大学野球日本選手権を連覇した青学のユニホーム。大学野球=早慶戦のイメージが強いが、もっと全日本大学野球選手権も甲子園と同じような注目を浴びてほしい。
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