
夏の甲子園が幕を閉じ、蝉の声が遠のき、鴨川に涼風が流れはじめる頃、京都の球児たちはもう次の舞台を見据えている。それが秋季京都府高等学校野球大会だ。
夏の大会を戦い終えた三年生が引退し、新たに二年生を中心とした新チームとして挑む最初の公式戦。それが秋季大会である。ぎこちなさや粗削りさを残しつつも、選手たちは来たる春と夏を夢見て白球を追う。
秋季大会は都道府県ごとに行われ、上位に入ったチームは北海道、東北、関東、東京、東海、北信越、近畿、中国、四国、九州の10地区で行われる秋季地区大会へと駒を進める。その成績は翌春の甲子園、すなわち「選抜高等学校野球大会」の出場校を決める重要な判断材料となり、秋の戦いは「センバツ」への架け橋。この大会は11月に行われる「明治神宮野球大会」の予選も兼ねており、各地区大会の優勝校は神宮球場への切符を手にする。
時には、夏の甲子園決勝と秋季大会の開幕戦が同じ日に重なることもある。もし京都代表が甲子園の大舞台に立っていれば、その学校には日程の配慮がなされる。夏の興奮を終えた直後に、もう秋の挑戦が待ち受ける。それが高校野球の暦の厳しさであり、美しさでもある。

京の都には千年の歴史と文化が息づき、寺社の静けさや洛北の紅葉が季節を彩る。その風景を背景に、球児たちは新しい物語を紡いでいく。秋の澄んだ空気の中、黒土に響くスパイクの音は、来る春と、さらにその先の夏を約束する調べとなる。
秋季京都府大会とは、伝統ある古都に息づく野球の暦であり、未来の甲子園を占う試金石なのだ。
秋の平安、古豪の影と光

1996年の秋、平安高校は7試合を勝ち抜き、京都の頂点に立った。その一行の裏には、長く沈黙を強いられてきた時間が重くのしかかっていた。

平安高校は、その間、甲子園から遠ざかっていた。夏は1990年以来、7年もの空白。春の選抜に至っては、17年もの長い歳月が流れていた。古豪と呼ばれながらも、その看板は次第に色あせていった。かつて甲子園の常連だった名は、次第に過去の記憶へと押し込められつつあった。
その沈黙を破るかのように、新チームは動き出した。マスクをかぶったのは山田拓哉だった。川口知哉との公式戦でのバッテリーは、この秋が初めて。伏見工を相手にした一戦。手探りの呼吸で組んだバッテリーは、不思議と形を成し、完封勝利を収めた。小さな一歩だったが、その一歩の意味は大きかった。
決勝は東山高校。川口は被安打5、点を許さぬままスコアは8対0に広がった。マウンドの背中には、いつしか古豪の影が重なっていた。
勝ち進んだ近畿大会では準々決勝で奈良の郡山に敗れたが、7年ぶりの甲子園。17年ぶりのセンバツ。その切符を、この秋にたぐり寄せたのである。
試合はいつも点数で語られる。新聞の見出しは「完封」「大勝」といった言葉を並べる。だが、実際にそこにあったのは、失われた時間を取り戻そうとする若者たちの息遣い。
新しい背番号をつけた山田の手のひらには、捕球のたびに痛みが走っただろう。川口の腕には、かつての栄光を背負う重さがかかっていたに違いない。内野の土をはじく打球に、迷いなく飛び込む姿があった。
外野の深い打球を、最後の一歩で追いついた背中があった。送りバントを確実に決める者がいれば、声を枯らして仲間を鼓舞する者もいる。ひとつの試合を支えていたのは、そうした目立たぬ動作の積み重ねだった。平安のナインはそれぞれの役割を果たし、秋の一戦一戦を刻んでいった。
あの秋の平安は、ただ勝ったのではない。過去を取り戻すために、未来へとつなぐために、一歩を踏み出した。古都の球場に響いたスパイクの音は、古豪復活の狼煙となって秋空に消えていった。
2025年9月27日(土)観戦記

天神川を渡る風が、肌の上で秋に変わりはじめていた。阪急・西京極駅を降りて歩きだす。朝の冷えが少しだけ背中を押す。

西京極野球場へ向かう並木のイチョウは、黄と緑のあいだで迷っていて、そのためらいが、新チームの鼓動を確かに見せていた。

球場前に立つ衣笠祥雄の銅像が、ここはやっぱり平安の場所だ、と言っている。錯覚に似た確信。

夏に3年生が去り、春のセンバツをめざす平安高校。秋季大会の初戦でライバル京都国際を破り、今日は準々決勝。

相手は京都府立北稜高校。昨秋(2024年秋)に京都大会3位、近畿大会出場の強豪だ。

試合前、北稜の選手たちはきっちり整列し、相手応援団のエールに対して拍手で応える。

平安は黙々とストレッチ。筋肉に火を入れながら、余計な音を消していく。

応援は対照的だった。平安はスピーカーから大音量の音楽があふれる。北稜は静かだ。

9時半、プレイボール。雲の切れ間から太陽がひょいと顔を出す。お日様も、ここから先のイニングを見届ける気らしい。

川口監督は語る。 「1年と2年生だけのチーム。お互い情報がない中で戦うのは怖い。本来の自分たちのパフォーマンスをするしかない」と。

バックネット最前列では、平安の野球部員が几帳面にスコアブックをつけている。


先発は北稜が背番号1、平安は背番号10。両投手の立ち上がりはよく、初回は三者凡退の匂いがした。だが北稜の送球がそれる。ツーアウト二塁。スピーカーから「怪しいボレロ」。観客席の空気が前のめる。

平安の4番・一塁手、鞍本蓮がライト線へ流し打ちで運ぶ。先制点。点は、こうして落ちてくる木の実みたいに静かに記録に残る。


守りでは、平安の3番・ショート、松本創が魅せる。難しいゴロをグラブに吸いこませ、ランナーを指す。華麗という言葉は、こういう一連の身のこなしのためにある。

1点を許した北稜のエース・原は、それでも崩れない。三回、デッドボールから二死二、三塁のピンチ。ここで3番・松本を空振り三振。球速は130キロ前半。だが真っ直ぐは伸び、落ちる球が要所で効く。数字よりも球の言い分を聞け。ボールがそう語る投球だった。

対する平安のサウスポー・三城柊飛は、100キロ台のカーブで目を外す。打者の時間をゆがませる投手は、試合の速度を変える。川口監督の現役時代の最大の武器がカーブだった。

四回、ボークで1点を失い、同点。野球は思いがけない場所から点が生まれる。

五回裏。先頭が出ると、川口監督が動く。投手に代打、背番号20・林。結果は空振り三振。だが相手の守備ミスに助けられ、ランナーが二塁へ。盗塁成功。

そこから連続四球でワンアウト満塁。2番・二塁手、猪飼が一塁強襲の内野安打で勝ち越す。点は線になり、線は波になる。

そして、今日の試合の色を決めたのは、また鞍本だった。レフトフェンスオーバー。値千金のグランドスラム。スコアは6―1。


スタンドの空気が跳ね、ベンチの呼吸が伸びる。

五回裏が終わると、グラウンド整備。高校生がトンボを引く。勝っている側も負けている側も、同じ土をならす。試合は礼から始まり、こうして共同作業で続いていく。

六回から、平安は背番号1の中元がマウンドへ。

青学のエース・中西を思わせるフォーム。

制球に宿題は残すが、130キロ台の直球とキレのあるスライダーで三者凡退。

北稜も背番号10・中村にスイッチ。六回裏は無失点。

平安は七回に2点を追加し、スコアは8―1。コールド。試合時間2時間9分。9時27分プレイボール、11時6分ゲームセット。

数字は冷たいが、そこに至るまでの汗はいつも温かい。今日の光の半分は北稜がつくった。負けたチームの汗が乾くのは遅い。けれど、その遅さが冬を越える糧になる。昨秋の京都3位、近畿出場の誇りをたずさえ、今日の悔しさを春へ連れていってほしい。

これで平安は準決勝へ。次に勝てば近畿大会の出場権を得る。だが、目標は、もっと先に置かれている。京都の代表として春のセンバツへ。

川口監督の前進は止まらない。次の勝利の準備が静かに重ねられていく。

帰り際、平安高校のチーム専用バスの運転手が言った。「あっけない試合やったな」
相手を見下しての発言ではない。強豪と見ていたからこそ、胸を撫で下ろしている。
今日の勝利は通過点にすぎない。次の準決勝に勝たねば、近畿大会の切符は手に入らない。鞍本のバットも、松本のグラブも、そして中元の腕も、その問いに答えるために磨かれていく。
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