春と夏の甲子園で鳴り響くサイレンは、内野席を覆う銀傘の下に設置されており、試合開始前や終了後に鳴る甲子園の風物詩だ。正式には、試合前のシートノック、プレイボール、ゲームセット、そして8月15日正午の計4回、放送室にいるウグイス嬢がボタンを押し、約16秒間鳴らしている。
サイレンの歴史
このサイレンは、西宮市の阪国電機が1936(昭和11)年に製造を始めたモーターサイレンが始まりとされる。ちょうどその頃、甲子園球場にも納入されたと考えられるが、正確な導入時期は不明。第22回大会期間中の1936年8月21日付「東京朝日新聞」夕刊1面には、「サイレン・喊聲・拍手」という見出しが掲載されており、当時の様子がうかがえる。なお、かつてはサイレンではなく進軍ラッパが使われていた時代もあった。
サイレンを鳴らす目的
万一の故障に備えて、操作室の裏には予備のサイレンも用意されている。サイレンを鳴らす明確な理由は定かではないが、おそらく球場内のスタッフや関係者に試合の開始や終了を知らせるためと考えられている。
サイレンの16秒
甲子園球場の試合開始のサイレンは、静まり返った球場に、最初に響く「声」である。物語の最初の一行を告げるサイレンが鳴った瞬間から、誰かの「最後の夏」が始まる。それは祈りの鐘のようにも、悲鳴のようにも、銃声のようにも聞こえる。その音は「始まり」を歌いながら、同時に誰かの「終わり」を連れてくる。
初めて甲子園でサイレンを聞いたのは、中学二年の夏だった。バックネット裏の10列目ぐらいの席で、父と双子の弟と僕の3人は、銀傘の下から、空気を震わせる低い音が球場全体に広がるのを聴いた。
試合開始を告げるその音は、単なる合図ではなかった。胸の奥に鈍く響き、何か大きな出来事がいま始まろうとしていることを告げていた。
平成九年、平安と智辯和歌山の決勝戦。午後1時のプレーボール。銀傘の影は、僕たちの席には届かなかった。太陽は真上から容赦なく照らし、肌は観戦が終わる頃には火照りを通り越してひりつく赤になった。それでも、試合の始まりを告げたあの16秒は、不思議な涼しさを持っていた。音が終わるまでのわずかな間、球場全体が一つの呼吸をしているように感じられた。
あれから何度も甲子園を訪れた。春も夏も、サイレンは変わらない音で鳴り続けている。外壁のツタは葉を落とし、新しい芽を伸ばし続けているのに、あの音だけは年を取らない。あの低く長い音は、過去の夏を呼び戻してくる。
サイレンは銀傘の下から、変わらない速さで回り続けている。誰かがボタンを押し、16秒間だけ、甲子園は時間を止める。音が消えれば、また熱気と歓声が戻ってくる。
そのわずかな間にだけ、あの夏の僕たちは、いまもまだ、そこにいる。
甲子園の物語
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