
勝敗を分けるのは、バッテリーの配球でも、監督の采配でもなく、甲子園に住みついた風そのものだったりする。
甲子園の歴史を振り返れば、浜風が試合を支配した場面は数えきれない。けれども記録には残らない。スコアブックに風向きを書く欄はなく、公式記録にその名が刻まれることもない。それでも観客の記憶の中には、たしかに生きている。
野球の屋外球場の魅力のひとつは、その球場ごとの風だ。甲子園の名物「浜風」は、気象用語でいう海陸風。南側にセンターがある甲子園では、ライトからレフトへ、ホーム寄りに吹き抜ける。海と陸の温度差が大きくなる8月に最も強まり、時速20〜29キロほどになる。鯉のぼりが泳ぐ程度の力だが、滞空時間の長いフライには十分すぎる影響を与える。
浜風のせいで、ライトへ飛んだ大飛球が失速することは珍しくない。初めて甲子園に立った高校球児が「フライの落下が遅い」と戸惑うのも、浜風の仕業でもある。イージーフライの失策が起きるのは、まだボールが落ち切っていないのに、早くグラブを差し出してしまうから。甲子園の外野フライは、風に運ばれて最後まで落ち切るのを待って、ようやく捕ることができる。
1997年の夏の浜風

高校野球の甲子園は、ただの球場ではない。潮の香りを含んだ風が、そこをひとつの生き物にしている。選手たちはその生き物に挑み、時に翻弄され、時に味方につけて勝ち上がっていく。その風を体で受け止めたとき、球児たちは初めて「甲子園で戦っている」という実感を得る。
1997年、夏の甲子園。平安高校のスタメンは9人のうち6人が左打者だった。浜風が吹きつけるこの球場で、左打者のホームランは生まれにくい。求められたのは、力ではなく流し打ち。風に抗うのではなく、風と共に打つこと。
一方で、その風はマウンドに立つエース川口知哉を助けることもあった。
智辯和歌山との決勝、三回表。1アウト二塁の場面で、打席には一番の豊田。フルカウントからの内角カーブを完璧にとらえた打球は、大きな放物線を描いて右翼スタンドへと吸い込まれていくかに見えた。だが、そこには逆風があった。浜風が、その白球を押し戻す。わずか3メートル。伸び切るはずだった打球は失速し、右翼手・田中のグラブに収まった。平安ナインは、浜風が背中を押してくれたことを知った。
記録には残らない一球。だが、あの夏の風は、確かに試合の一部だった。甲子園という球場は、選手たちの技や力を測るだけではない。時に、風までもが勝敗を左右する。
そして観客席にいた者は知っている。あのときの一打は、球児の力ではなく、甲子園の風が決めたのだと。夏が過ぎても、その余韻だけが胸の奥に吹き続けている。
甲子園の物語
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