
10月の風が、球場の芝をかすかに揺らす。夏の喧騒が遠ざかり、グラウンドには新しい声が響く。秋季近畿地区高校野球大会は、そんな季節の変わり目に静かに幕を開ける。

2025年10月18日。大和三山・畝傍山が見守る、まほろばの古都・橿原。さとやくスタジアムに近畿二府四県の代表16校が集う。
その中には、京都王者としての誇りを胸に、平安高校の姿がある。京都大会の決勝では乙訓との激闘を制し、近畿大会に勝ち進んだ。

伝統の紫紺のユニホームが秋空に映え、幾度も歴史を刻んできたその名は、奈良の舞台で輝きを放つ。
10月14日の抽選会で運命の対戦カードが決まり、18日、19日、25日、26日、そして11月2日、3日と続く熱戦の果てに、優勝校は明治神宮野球大会への切符を手にする。
この大会は、平安高校にとって、一球一打の積み重ねが、失われた時間を取り戻すための闘いでもある。2023年は春のセンバツに出場したものの、近年、京都を席巻してきた京都国際の勢いに押され、平安の名は静かに影を潜めていた。かつては甲子園の常連。その紫紺のユニホームが、季節ごとに全国のグラウンドを彩っていた時代があった。だが今は、その記憶を懐かしむようになりつつある。
その沈黙を破るのが、この秋だ。川口監督は、自らが現役時代に手繰り寄せた栄光をもう一度、若い選手たちの手で取り戻そうとしている。勝利は約束されていない。だが、球場の風は、確かに変わり始めている。古都・奈良の秋空の下、再びあの名を響かせるために、平安は静かに、歩を進めている。

夏の甲子園が終わり、三年生が去ったあと、残された新チームが初めて「自分たちの野球」を試す舞台、それが秋季大会だ。一年生と二年生だけのチーム。そこには、まだ不安と未熟さが入り混じり、同時に、未来への期待がある。

バットを握る手に残る汗は、敗北の悔しさではなく、これからを掴もうとする覚悟の証。この大会の結果は、翌春のセンバツ、選抜高等学校野球大会の出場の行方を大きく左右する。秋の風を切り裂いて放たれた一打が、春の甲子園への道を開く。

だからこそ、選手たちは知っている。この奈良の地での一球一打が、自分たちの運命を決めることを。
スタンドの風は徐々に冷たくなるが、ベンチの中は熱を帯びている。
一つのサイン、一つの走塁、一つの声。それらがチームを形づくり、試合を動かし、やがて一つの物語になる。

秋季近畿地区大会は、まだ完成されていないチームたちの、「途中の物語」を描く場所だ。それは、勝利の歓喜よりも、むしろ努力の過程にこそ、野球というスポーツの真実が宿ることを教えてくれる。
誰が勝つのか。どのチームが、奈良の秋空を仰いで笑うのか。その答えは、まだ誰も知らない。けれど確かなのは、この大会が、来春へと続く希望の始まりであるということだ。
秋の平安、古都に甦る紫紺の記憶

夏の甲子園は、1年から3年生までが肩を並べる“全員野球”の舞台。しかし、春のセンバツは、少し違う。そこに立つのは、2年と1年。わずか二学年だけのチームである。甲子園への出場権は、まだチームが幼い秋に決まる。
この季節の一球一打が、翌春の夢を決める。だからこそ、秋の勝利には独特の重みがある。まだ背番号の似合わない若者たちが、未来をかけて土を蹴る。その姿に、野球という競技の「つづく時間」が宿っている。
1996年の秋。古豪・平安高校のユニホームが、地元・西京極球場の風の中に翻った。7年ぶりの甲子園、そして17年ぶりのセンバツへ。その切符を手繰り寄せた物語は、決して華やかなものではなかった。
比叡山戦―静かな船出
10月26日、秋季近畿大会1回戦。対するは滋賀の比叡山。エース川口知哉は、肘への負担を考慮してスライダーの使用を制限していた。
「1試合に数球だけ」。指先の感覚を頼りに、真っすぐとカーブで勝負する。だが2回、突然リズムが崩れる。3四死球。マウンドの空気がわずかに揺らいだ。
それでも、背後には平安ナインの守備と、頼れる女房役・山田拓哉の存在があった。
平安打線は初回から一気に畳みかけ、4点を先取。4回にも4点を重ね、終わってみれば14安打10得点。7回コールドでの勝利。スコアは10対2。秋の初戦としては十分すぎる結果だったが、その裏には、確かな不安の影もあった。
郡山戦―乱調と再生の狭間で
11月2日、準々決勝。相手は奈良の郡山。この日、川口の制球は荒れた。3回、連続死球。そこから2点を失う。原田監督は試合後、静かに語った。
「夏の疲れが出て、フォームのバランスが崩れていた」
打線も郡山の近藤・竹村の継投に抑え込まれ、わずか1得点。結果は1対2の惜敗。冷たい秋風の中、スコアボードの「1」と「2」が、しばらく誰の目にも焼きついた。
しかし、この敗戦がすべての終わりではなかった。むしろ、そこからが平安の再出発だった。原田監督は冬場の練習に「ノースローデー」を設け、週3日は投球を禁じて下半身強化に専念させた。
甦る古豪の名
京都大会と近畿大会を通じての9試合。山田拓哉が放った2本の本塁打が最も多く、川口と奥井が1本ずつ続いた。奥原の10打点、奥井の打率.529。数字は、静かにチームの底力を語る。
そして何より、長く遠ざかっていた「平安」という名前の重みがあった。かつて甲子園の常連と呼ばれた古豪。その名が、スコアボードに再び刻まれたとき、観客席にいたOBたちは、誰もが目を細めた。
7年ぶりの甲子園。17年ぶりのセンバツ。その切符を、秋の結果でたぐり寄せた。初めて甲子園球場に『怪しいボレロ』が鳴り響いた。秋の一瞬一瞬が、古豪復活の物語を紡いでいった。
西京極に、スパイクの音が響く。それは、古都が聞いた、平安復活の足音だった。
奈良・橿原―雨の匂いと、新しい痛み

10月25日、土曜。さとやくスタジアムの上空に、低く灰色の雲が垂れこめていた。雨の気配をはらんだ奈良の空は、いつもより近く、重い。駐車場は満車。橿原神宮に移動すると、いつもは居ない警備員。「野球観戦ですか?あちらに停めてください」と誘導される。いつもは静かな参道が、この日ばかりはスタジアムの延長。神域が、秋の大会の駐車場に変わる。

入場券千円を券売機で買うも、内野スタンドは満席。奈良の地方球場がワールドシリーズの熱気を纏う。
係員から「外野に行ってください」と言われるが、第1試合が終わり、運良くバックネット裏の席が空いた。

少子化、経済的苦境、競技人口の減少。野球を取り巻く風景は変わり続けている。大学野球や社会人野球に関しては、レベルの高さとは反対に人気競技とは言い難いが、高校野球とプロ野球だけは、人を引き寄せる。毎年のように、観客数のレコードを更新している。

川口監督が現役だった97年、平安高校の背番号ひと桁のうち8人は京都の中学出身だった。今、その数はゼロ。少子化、経済的な事情(野球はお金がかかる)、野球留学。平安ほどの名門校ですら、時代の流れの中にある。紫紺のユニホームは同じでも、そこに込められる物語は違う。今日の奈良の空には、その変化を飲み込むような曇りがあった。
正午を前に、雨が降りはじめた。合羽を着ようか考えたが、すぐにやみ、太陽が顔をのぞかせる。京都大会とは違う緊張感。他県が戦うとは、こういうことだ。

奈良の橿原学院は、一試合平均9.4点という数字をぶら下げて、この秋を進んできた。

対する平安は、京都大会を5試合無失策で抜けてきた鉄の守りを背にしている。

結末だけ見れば、8安打しながら再三の好機を逃し、続投が裏目に出た。そう言いたくなる気持ちはわかる。だが、野球においてベンチは別の景色を見ている。投手の球数、ブルペンの肩が仕上がるまでの時間、捕手が受けて感じた指先の湿り、前夜の微熱や太ももの張り、マウンドの泥の重さ、滑りやすいボール、相手中軸との当たり順と相性、次の回の代打要員や守備固めの手順など。それら無数の要素が一度に卓上に並ぶ。スタンドからは見えない事実が、ベンチには山ほどある。野球において監督は、それが最善策でないと知りながらも、それを実行できない事情もある。
外野席から「采配」を断罪するのは、試合の一部だけを切り取って地図を描くようなもの。見るべきは、作戦ではなく、外野席から感じる野球に向き合う姿勢である。
集中力が切れていた。アウトのあとの態度がよくない。負けたあとに残るのは、いつだってその姿勢の良し悪しだけだ。
その一点で、平安は立派だった。雨の匂いのする奈良の空の下で、その立ち居振る舞いは、敗北という名の影よりもずっと明るかった。

初回。平安は相手の攻撃をゲッツーで切り抜け、上々の立ち上がりを見せた。

裏の攻撃。先頭の福馬がフォアボールで出塁。送りバント、連続四球で満塁。いきなりの大チャンス。だが、5番・小林が空振り三振。6番・松本のセンターフライでチェンジ。掴みかけたリズムは、まだ形を持たなかった。

三回裏、再びチャンスが訪れる。1番・福馬が倒れたあと、連続ヒットでワンアウト一、二塁。4番・鞍本の打席で「怪しいボレロ」。しかし、得点には至らない。溜息がスタンドにこぼれた。ここまで2度、好機を逃している。野球は「流れ」のスポーツであり、2度あることは3度ある。

四回表。中元のボールが高く浮き、嫌な予感が漂った瞬間、ショート松本がそれを断ち切った。強烈なゴロを軽やかにさばき、センターの松尾が好返球で三塁走者を刺す。

五回表、再びピンチ。ワンアウト一、二塁。センターに抜けると思われた打球を、またも松本がダブルプレー。プロ顔負けの守備。この瞬間、球場全体が息を止めていた。

五回裏、2番・猪飼がヒットで出塁、盗塁成功。「怪しいボレロ」が再び鳴る。3番・松尾がレフト前ヒットでつなぎ、ワンアウト一、三塁。だが、4番・鞍本の打球はダブルプレー。再三のチャンスも、スコアは動かない。特に4番が打てないと、その影響はチーム全体に響く。
六回裏の攻撃、先頭の小林がヒット。松本が送り、7番・西岡の打席で相手投手が交代。新しい投手・菅田の球を西岡がライト前に運び、一、三塁。さらに石家が四球で満塁。ショートゴロの間に1点。一、三塁で1番・福馬がセンター前タイムリー。2点目。ようやく掴んだリードに、平安ベンチの声が弾んだ。

七回。2点をもらった直後の中元。クリーンアップから始まる橿原学院の攻撃。3番の大庭は抑えるが、4番・川井にレフトオーバーのソロ。4番の一振りがチームに勢いをつける。

5番を抑えるも、6番・堀川にもレフトオーバー。同じ軌道を描く二本のホームラン。スコアは2対2。

八回、ノーアウト一、二塁のピンチ。ゴロの間にワンアウト二、三塁。背番号16・川島がリリーフ。

しかし2アウトから4番・川井の打球がサード強襲。白球は内野を抜け、勝ち越しの一点。橿原学院が3対2とリードを奪う。
八回裏。平安の反撃。先頭・松本がフォアボールで出塁。西岡が送り、再び「怪しいボレロ」。石家がセンターフライ、川島がセカンドゴロ。あと一本が出ない。

九回。守備の松本が最後まで魅せた。ゴロを鮮やかにさばき二塁へ、そして一塁へ。併殺。1試合の中で、ここまでショートの重要性が浮き彫りになったのは珍しい。WBC、プレミア12でチームを救った源田壮亮を彷彿とさせた。そして、チームも強力打線・橿原学院を10安打で3点に抑えた守りは見事だった。

だが、打線は最後までその扉を開けられなかった。3対2。

奈良のチームは3校すべてがベスト8進出。春のセンバツは奈良勢3校出場の可能性も見えてきた。奈良には、追い風が吹いている。奈良初の総理、高市早苗。奈良初のメジャーリーガー、岡本和真。

紫紺の平安は、秋の舞台を去る。同時に、春のセンバツの灯も消すことになる。

97年以来の、川口監督の聖地凱旋は、夏へ続く物語になった。それでもショートの松本、四番の鞍本。来年を照らす灯は、確かに残っている。プロを思わせる守備。勝負強さを秘めた打撃。それは、まだ未完成の輝きだ。

敗北のあとに残るものは、悔しさではなく、もう一度、夏を目指すための静かな誓い。

古都・奈良の秋の空の下、平安の物語は終わらない。それは、まだ途中の物語である。
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