高校野球の聖地・甲子園球場。そのシンボルが、外壁を覆う蔦(ツタ)だ。
使われているのは、ブドウ科のナツヅタで、季節ごとに違った表情を見せる。常緑樹のため、冬でも緑の葉を蔓(つる)に残す。日陰になりやすい場所では、日陰に強いキヅタという別種も植えられている。
ツタは見た目だけでなく、壁を守る役目も持つ。雨や直射日光を防ぎ、夏は蒸散作用で暑さをやわらげる。春は内部を暖かく保ってくれる。
ツタの歴史は100年以上におよぶ。1924(大正13)年12月、完成したばかりのコンクリート打ち放しの無機質な外壁に、初めてツタが植えられた。それ以来、約430株のツタが甲子園を包み、葉の面積は畳8,000枚分にもなる。ツタは甲子園を、日本の野球場で最も味のある外観にしてきた。
繁殖力は非常に強く、場所によっては1年で5メートルも伸びる。放置すると室外機や配電盤、配管の隙間にまで蔓を伸ばす。かつては近くの家や電柱、木にも忍び寄り、いつの間にか覆ってしまったこともあった。

手入れは、グラウンドの芝も管理する阪神園芸が担う。多い時には週5日、外周をトラックで回って水やりを行いながら、伸びすぎた部分を切っていく。高校野球開催中は、作業は夕方から夜にかけて行われる。壁の高い部分は1週間かけて整える。
大きな手入れは年2回。春と夏の甲子園大会の前に行い、開催時には最も美しい状態のツタが外壁を飾る。この球場は、何よりもまず、高校野球のために存在している。
コラム:平成九年のツタ、緑の衣をまとった記憶

甲子園の外壁は、夏になると緑の衣をまといはじめる。コンクリートの壁は、球場の中から聞こえる金属音や歓声とは無関係に、静かにツタを育ててきた。葉は小さく、厚くはない。それでも、幾重にも重なって壁を覆い、古びた球場を夏の景色に変えていく。
入場口に並ぶ人々の列から、時折、誰かが顔を上げる。視線の先には、四角い窓を縁取るように這うツタが見える。外からでは試合の様子はうかがえない。けれど、この緑を見れば、中で何が行われているかはわかる。白球が飛び、選手たちが走り、どこかのアルプスから声が降っている。ツタはそれを見なくても知っている。
甲子園の外壁は、冬になると無口になる。葉を落とし、裸の蔓だけがレンガを這う。春を前にした球場は、少し寒々しく見えるかもしれない。だが、それはツタが眠っているだけだ。大正13年の冬、このコンクリートの壁に初めて植えられて以来、約430株のツタは、何度もこの眠りと目覚めを繰り返してきた。
春のセンバツ、まだ芽吹ききらぬ葉は頼りなく、壁の灰色がのぞいている。球児たちはその前を通り抜け、まだ肌寒い風の中で試合に向かう。
やがて梅雨を越え、葉は勢いを増す。八月の陽射しを浴びる頃には、外壁の隙間はすっかり緑に塗り替えられる。何十回もの夏を繰り返し、その間に球場の屋根は形を変え、外装も塗り直された。それでも、ツタはまた根を張り、葉を伸ばし、同じ場所に夏を連れてくる。
試合が終われば、歓声も足音も消え、ツタは再び静かになる。だが、その静けさの中に、春と夏、幾千の球児と観客の記憶が積み重なっている。外壁を覆う緑は、甲子園のベストドレッサーとしての顔であり、同時に、誰にも語られない物語の証人でもある。
ツタの向こうの夏
初めて甲子園を訪れたのは、中学二年の夏だった。父に頼み込み、双子の弟と3人で阪神電車に揺られた。炎天下の人混みを抜け、父が当日券を買うために走った。外壁の緑が目に飛び込んできたときの感触を、今もはっきり覚えている。平成九年の決勝戦、平安高校と智辯和歌山。平安を応援する気持ちは、球場に着く前から胸いっぱいにふくらんでいた。
あの夏を超える夏は、まだ現れていない。年月を経ても、記憶は不思議と褪せない。むしろ、外壁のツタのように、幾度も葉を落とし、芽を出すうちに、その芯だけが濃く残っている。春と夏、甲子園を訪れるたびに、あの日の光景が緑の奥から呼び戻される。父の隣、弟の汗、灼けた風、そして外壁を覆う、あの深い緑の匂い。
ツタは今も球場を包んでいる。平成九年の夏を知っている葉は、もうどこにも残っていない。それでも、同じ蔓から新しい葉が広がり、同じ壁を覆い、同じ季節を迎える。変わらないものと、変わっていくもの。その境目を、ツタは黙って見続けている。
甲子園の物語
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