
甲子園球場が開場した1924年、そのグラウンドは一面の土だった。白線が引かれ、黒土が広がるだけの舞台。二年後には、外野にクローバーなどの草が自生し、芝の代役を果たすようになる。
やがて1928年から翌29年にかけて、外野に本格的な芝が張られ、甲子園は初めて「緑」を手に入れた。

その緑は単なる装飾ではない。高校野球を象徴する風景の一部となり、球児たちの記憶を支える存在になっていく。

スタンドから眺める芝生は、いつでも均一で、陽射しを浴びて輝く緑のじゅうたんだ。アルプス席から見下ろせば、黒土との境界がくっきりと浮かび上がり、そのコントラストが夏の甲子園の風景を決定づける。外野を走る選手の背中が、その緑に吸い込まれていくとき、観客は試合を見ている以上に「高校野球そのものの景色」を見ているのかもしれない。

だが芝は、グラウンドに立つ選手にとってはもっと生々しい存在だ。スライディングで足を取られることもあれば、全力で飛び込んだとき、芝の葉が頬に張りつくこともある。ユニホームの膝や胸に緑色の擦り跡を残し、それが敗戦の印にも、勝利の証にもなる。芝生の柔らかさは転倒の衝撃を和らげるが、湿りすぎれば打球の勢いを止め、乾きすぎれば跳ね返す。選手は、芝の機嫌を肌で感じながら一球一球を追いかけている。
芝のコンディションは、守備だけでなく打球にも影響を与える。春はやや芝が薄いため、ゴロが速く抜けやすい。夏は芝が密で球足が止まりやすく、外野守備の読みが一段と求められる。
春のセンバツでは、芝はまだ発育途中で、やや淡い緑色。冬を越えたばかりで養生期間も短く、若干薄めの柔らかい印象を残す。
一方、夏の芝は太陽をたっぷり浴びて濃く、厚く、力強い。試合が進むごとに踏まれていくが、それでも芝の逞しさが滲む。

現在、甲子園の外野芝生は9,000平方メートル。真夏には一度の散水で15トンもの水を撒く。大半は井戸水で、溜めた雨水も使い、水道水は使わない。水の玉をいかに細かく散らし、芝に無理なく沁み込ませるか。散水にもまた熟練の技がある。
芝の管理は容易ではない。1982年、甲子園は芝の二毛作に成功した。夏は暑さに強いティフトン、冬は寒さに強いペレニアルライグラスを使い分け、一年中緑の芝生を維持している。冬芝と夏芝を交互に切り替えることで、一年を通じて緑のじゅうたんを保てるようになった。春の選抜では冬芝が、真夏の選手権では夏芝が、選手たちの汗とスパイクを受け止める。

それでも外野にしか芝はない。内野を天然芝にしないのは、高校野球という舞台の性質ゆえだ。阪神タイガースの本拠地としてだけなら可能かもしれない。だが、甲子園は「高校野球のための球場」でもある。大会期間中は連日の試合、時に1日4試合が組まれる。芝では耐えきれない。だが黒土なら、整備の手で蘇る。だからこそ、甲子園の内野は今も土であり続ける。
人工芝を選ぶ球場もある。管理がしやすく、イレギュラーバウンドも少ない。だがその代償として、選手の足にかかる負担は大きい。スライディングの摩擦で怪我のリスクもある。甲子園が天然芝にこだわり続けるのは、ただの伝統ではない。そこに立つ球児たちの身体と記憶を守るためだ。

白球が舞い上がり、緑の芝に落ちる。その瞬間、歓声がひとつの波になって広がる。芝の柔らかさが打球の行方をわずかに変えることもある。けれど観客は知らない。芝生の一本一本に、どれほどの水と手間が注がれているのかを。

甲子園の芝生は、単なる風景ではない。夏芝と冬芝を入れ替え、散水に汗を注ぎ、黒土と共に高校野球を支えてきた舞台装置である。
土と芝、その境界線に転がる白球には、勝敗を超えた物語が潜んでいる。甲子園の芝生は、球児たちの青春を静かに受け止め、その足跡を消すことなく残していく。
甲子園の物語
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