
甲子園には、ひとつの名物がある。それが「かちわり氷」だ。
かちわりは、大きな純氷を小さく割ったもの。袋に入った氷を口に含み、溶けた氷水を飲む。あるいは額に乗せて涼をとる。真夏の直射日光が照りつけるスタンドで、これがなければ観戦そのものが危うい。大袈裟ではなく、命を守る必需品である。
販売されるのは夏の高校野球だけ。阪神タイガースの試合では扱われていない。使われる水は六甲山系の地下水。二日間かけてゆっくりと凍らせることで水に溶け込んだ空気を抜き、気泡の少ない氷ができあがる。そのため溶けにくく、冷たさを長く保つことができる。

「かちわり」が初めて登場したのは1957年。考案したのは地元・西宮市の飲食店「梶本商店」だった。金魚すくいで持ち帰った袋を見た初代社長が着想を得たという。ビニール袋に氷を詰め、ストローを差すことで、飲み物にも氷嚢にも使える二刀流の便利さを発見したのだ。発売当初の価格は1袋わずか5円だった。
かちわり氷- 1997年の甲子園

真夏の午後、甲子園は熱に包まれる。ペットボトルは、生ぬるいお湯のようで、タオルを絞っても汗の匂いが混じるばかりだ。そんなとき、スタンドを流れる小さな風のように現れるのが「かちわり氷」だ。
氷が砕ける乾いた音。ビニール袋に詰められた透明な塊が、売り子さんの腕から観客へと手渡されていく。ストローを差し込み、口に含んだ瞬間、熱に浮かされた身体がひと息に鎮められる。味はない。けれど、それは砂漠に差し込むオアシスのように「救い」としてそこにある。
観客は氷をしゃぶり、首筋にあて、残った水を頭からかぶる。誰もが自分なりの使い道を知っている。氷はただの氷でありながら、観客の数だけ役割を持っていた。
かちわり氷は記録には残らない。スコアボードに数字が刻まれることもなければ、新聞の片隅に取り上げられることもない。だが、甲子園を語るとき、誰もが心のどこかで思い出す。炎天下のグラウンドと、汗ばむ掌の中で溶けていった透明な塊を。観客の口に広がる氷の冷たさもまた、歴史の一部だ。
1997年、バックネット裏の銀傘の影の外で僕たちは炎に焼かれていた。
平安と智辯和歌山の決勝。午後の太陽は真上から少し傾き、屋根の庇は僕らの席まで届かなかった。銀色の大屋根は、ただ静かに輝いているだけで、そこに座る者と座らぬ者を峻別していた。僕たちはその線の外にいた。
中学二年の夏。父に頼み込み、双子の弟と三人で阪神電車に揺られてきた甲子園。グラウンドを包む熱気は観客席にも染み渡り、息を吸うだけで肺の奥まで灼かれるようだった。
そのとき、父は「かちわり氷」を買ってくれた。袋の中で光を受けた透明な塊は、ただの氷でしかなかったのに、手のひらに乗せた瞬間に救いに変わった。口に含むと冷たさが喉を伝い、意識の奥に溜まった熱を洗い流していく。
父はその日、三度もかちわり氷を買ってくれた。ひとつでは足りなかった。氷の溶ける速度は、試合のテンポよりも速く、夏の日差しよりも残酷。喉が渇き、掌が焼けつくたびに新しい袋を必要とした。あれがなければ、倒れていたかもしれない。大袈裟ではなく、本当にそう思う。
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