ベースボール白書

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甲子園への道:京都大会、西京極の陽炎に、夏の夢は揺れている

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京都の夏は、湿気がやわらかく体にまとわりつく。
街を歩けば、石畳からじんわりと熱が立ちのぼり、蝉の声が時間にしみ込んでくる。
そんな蒸し返すような午後に、太陽の下に集う高校生たちがいる。汗にまみれながら、静かに、何かを信じている。

「甲子園へ行く」

その願いだけを胸に、3年生は最後の夏を迎える。白球を追いかけながら、心の奥では、いつか終わる季節を感じている。

地方大会の空気は、やわらかく、どこか切ない。それは全国大会よりも、少しだけ手前にある風景。

大観衆も、大舞台もまだ先。目の前の一試合に、すべてをかける。夏の続きを見るために。

地方大会の決勝戦。それは、夢と現実が交差する場所。甲子園まで、あと一つ。その距離の近さが、むしろ遠さになる瞬間が、ここにはある。

この一勝で、夏が続く。
この一敗で、高校野球が終わる。

打球音がやけに遠くに響くのは、観客の誰もが、勝者と敗者の物語を同時に見ているからだ。

地方大会の決勝戦。それは「もう一つの甲子園」。誰かにとっての夢の終点であり、誰かにとっての始発駅。甲子園の手前にある、甲子園。

一塁側、三塁側。どちらにも、夏を駆け抜けてきた物語がある。グラウンドに立つナイン、その後ろにはベンチの仲間たちがいる。その後ろには、朝練や夕練をともに乗り越えた先輩、後輩、家族、恩師がいる。

勝てば、甲子園。負けても、すべてが無駄ではないと信じられるように、選手たちは最後まで全力で戦う。ユニホームの袖をまくるしぐさひとつに、3年間の重みがにじむ。

そして、試合が終わる。勝ったチームが歓喜に沸く中、負けたチームの選手が野球帽を脱ぎ、涙を拭かず深く一礼する。その姿は、勝者のガッツポーズよりも美しい。地方大会の決勝戦で刻まれるプレーと表情は、甲子園以上に光るものがある。

京都大会と平安高校

京都における甲子園への道は、西京極の土の上に描かれている。

京都大会には、関西のなかでも独特の重さがある。伝統が息づき、静かな熱を湛え、そして「平安」という名前が、そこにある。
甲子園最多出場校。そのユニホームが持つ意味を、京都に暮らす人間なら誰もが知っている。

平安の二文字には、京都という土地の記憶が染み込んでいる。「平安」の二文字を背負うには、覚悟がいる。それは、誇りであり、呪縛でもある。

「平安なら勝って当然」と、誰もが言う。

「平安だからこそ、負けてはいけない」と、誰もがつぶやく。

ユニホームの内側にいるのは、まだ十代の高校生たち。その胸にあるのは、平安の野球を背負い、守り、貫こうとするひたむきな時間。

甲子園への切符を手にし、校歌を高らかに歌うとき、それは、平安であることに最後まで背を向けなかった若者たちへの、小さく、深い称賛。

7月の京都には、静かに燃える球夏がある。汗と土と静寂のあいだで、ひとつの夏が息づいている。

プロローグは、ここにある。西京極の陽炎の中に。

太陽と、土と、風が交差する、夢の入口に。

京都大会の歴史

夏の全国高校野球選手権大会における京都大会(地方予選)は、1915年(大正4年)に初めて開催された。当時は滋賀県と合同の「京津大会」(京都・滋賀地区予選)として行われ、京都府から8校、滋賀県から3校の計11校が参加。決勝では京都二中(京都府立第二中学校)が同志社中学校を5対0で下し、京都府代表として初の甲子園本大会出場校となった(京都二中はその後全国大会でも初優勝)
平安高校が甲子園に初めて出場するのは、1927年(第13回大会)から。5年連続出場の快進撃を続け、全国でも甲子園最多出場を誇る名門校となる。

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