ベースボール白書

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100年目の六大学野球〜六つの色が描いた神宮を渡る百年の風

100年目の六大学野球

2025年は昭和100年にあたる。その年に東京六大学野球が100周年を迎えた。

全国制覇をかけた戦いでもない。東京という一都市に根を下ろした六つの大学だけで、一世紀もの時間を積み重ねてきた。そのことの重みを、全国の野球ファンも、もう少し、静かに驚いていい。

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六大学野球の起源は明治36年(1903年)に始まった早慶戦。まだプロ野球の影もなかった30年以上も遥か昔。やがて明治、法政、立教、東京大学が加わり、1925年、正式に六大学が揃った。東京六大学野球連盟の誕生である。

100年目の六大学野球

記念すべき開幕試合は、1925年(大正14)9月20日。明治と立教。紫のユニフォームを纏う両校による“紫合戦”と呼ばれる試合。

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翌年、1926年(昭和元年)には明治神宮野球場が完成し、このリーグの人気は急速に広がっていく。

100年目の六大学野球

早慶戦や六大学野球は、主役の選手に加え、応援団が躍動し、観客が情熱を傾ける。神宮という舞台で育まれた野球文化である。それが、高校野球、社会人野球、プロ野球、侍ジャパンへと受け継がれる。日本野球の原点でもある。

そんな六大学野球も、戦争がすべてを止める。1943年、六大学野球連盟は解散を余儀なくされた。しかし、その3年後、焼け跡に風が吹く1946年にリーグ戦は再開。戦争が終わっても、野球は終わらなかった。

戦後、蔵前国技館がGHQに接収されたことで、大相撲の本場所が神宮外苑に仮設された。隣接する神宮球場の六大学野球が満員の観客でにぎわう熱狂ぶりを見て、当時の横綱・若乃花が対抗心を燃やしたという。

100年目の六大学野球

六大学野球は、DH制を採用していない(2026年からDH制を導入)。1番から9番まで、すべての選手が打席に立ち、守備につく。そのクラシックな佇まいに、今年からは新たにビデオ判定が導入された。伝統と革新の共存。温故知新という言葉が、これほどしっくりくる舞台もそう多くない。日本最古の大学野球連盟として歩みを続けている。

2025年5月24日(土)

100年目の六大学野球

明治大学vs.法政大学

100年目の六大学野球

本当なら秋、東京六大学野球が産声を上げた明治大学と立教大学の試合を観たかった。その頃には東京を離れている。その前に、早慶戦じゃない六大学を観ておきたい。観衆は1万人。早慶戦の半分ほどだが、それでも全日本大学選手権の決勝戦より多い。

100年目の六大学野球

季節は初夏を迎えようとしていたが、神宮球場は身をすくめたくなるほど肌寒い。夕方から雨。試合が終わるまで、天がもってくれるか。グラウンドに目をやれば、選手たちの多くが長袖のアンダーシャツを着込んでいる。

100年目の六大学野球

六大学野球の100周年を祝って、毎週「伝説」がマウンドに立つ。今日の始球式は、法政大学の4番として通算ホームラン記録を打ち立てた田淵幸一。その打棒を知る世代やタイガースのファンからすれば胸が高鳴る名前も、2000年代に生まれた現役学生にとっては、「グラウンドに立つ、普通のおじさん」に見えるだろう。

100年目の六大学野球

今、このグラウンドでプレーしている選手は、「100」という数字の重みを、どんなふうに感じているだろう。あまりにも大きな数字は、時に現実感を奪う。それとも、観客席からは分からない、何かが肩にのしかかっているのかもしれない。歴史の中でたった一度しか訪れない「100周年」の主役になれるということは、それだけで幸運だ。

100年目の六大学野球

優勝に大手をかける明治のスターティングメンバーに、1年生の名前はなかった。対する法政は、フレッシュな顔ぶれが目立つ。今日の試合は、点差も内容も「明治の野球」

100年目の六大学野球

初回、法政の先発・古川翼が明治打線に捕まった。2アウトをとって好調な滑り出しだが、3番の榊原 七斗にフォアボールを与えたあとから崩れだす。

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4者連続でヒットを浴び、1回を投げ切れずマウンドを降りる。

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伝統の一戦で、名門対決で、こんな展開になるとは。思わず息を呑んだ。

100年目の六大学野球

引き金を引いたのが、明治の4番ファースト・小島大河。スイングがいいのはもちろんだが、驚かされたのは、ボールの「待ち方」だった。ギリギリのコースを見極め、際どい球を静かに見逃す。その姿には、数字では測れない野球のセンスがあった。2安打、2四球の4出塁。7月の日米大学野球でも、きっと中心選手になるのだろう。

100年目の六大学野球

明治の打線は、下位にも抜かりがなかった。特に初回にツーベースを打った7番セカンドの木本圭一。コンタクトの柔らかさが印象に残った。こんな選手が下位にいるのだから、今年の明治が強いのも頷ける。

100年目の六大学野球

圧巻だったのは、背番号1を背負う左腕、毛利海大(かいと)。明治のエース番号である11番を超える働きを見せている。150キロに届く直球、カーブ、そしてチェンジアップ。法政打線は、完全に翻弄された。

100年目の六大学野球

法政は2回に4番サードの松下歩叶(あゆと)が鋭いスイングで二塁打を放つ。去年、侍ジャパンに選ばれ、振りが強い。今年の日米野球にも選ばれてほしい逸材。しかし、後続が倒れて9回までスコアボードの安打に「0」が並ぶ。

100年目の六大学野球

毛利海大は、9回も続投。被安打3、1四球の完封。防御率と勝ち星でリーグトップの大車輪。堂々たるエースのピッチング。

これで優勝に大手。全日本大学野球選手権で、青山学院大学の前に立ちはだかる最大の壁になるかもしれない。

100年目の六大学野球

敗れた法政にも、明日へとつながる光がある。昨年の高校日本代表で、存在感が頭抜けていた大阪桐蔭の境亮陽。

100年目の六大学野球

この日は爆肩を披露したものの、快音はなし。ただし、最終回にヒットを放ち、一矢報いた。試合に小さな爪痕を残した姿に、大きな器を感じさせた。

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もうひとりがキャッチャーの只石貫太 。1年生でスタメンマスクは並大抵のことではない。今日は後逸が目立ったが、あの田淵幸一も、きっと最初から完璧ではなかったはずだ。伝説と同じ背番号を背負う彼の未来に、少しだけ期待したくなった。

立教大学vs.東京大学

100年目の六大学野球

第2試合。球場内ではカキ氷も販売しているが、寒さで売れようもない。売り子さんがビール販売に精を出すが、今日は売れ行きは苦しいだろう。チーズハンバーグカレーで温めるが、効果がないほど寒い。

100年目の六大学野球

立教大学といえば、ミスタープロ野球・長嶋茂雄さんの母校。杉浦忠、景浦將といったビッグネームも輩出。ユニホームに袖を通しただけで、物語が始まってしまうような名選手たちが、このチームから生まれてきた。

100年目の六大学野球

今日の注目は東大。野球好きの友人が、以前こんなことを言っていた。「人気の六大学、実力の東都って言われるのは、六大学に入れ替え制がないからですよ。もし東都にいたら、東大は3部。六大学での成績も、東大がいるおかげで上積みされてる。だから参考にならないんです」

100年目の六大学野球

聞いたときは、確かに理にかなっているように思えた。

100年目の六大学野球

実際、立教の選手たちの体つきは、同じ大学生とは思えないほどアスリート的。力感にあふれている。

100年目の六大学野球

しかし、実際に試合を観ると、その印象は変わった。たとえ事実であったとしても、東大を蔑むような言葉は、口にしたくない。そう思わせてくれるものが、この日のグラウンドにはあった。打者たちの奮闘も素晴らしいが、ひとりの投手に目を奪われた。

100年目の六大学野球

東大のユニホームをまとった小さな背中。身長は167センチ。野球選手と呼ぶにはあまりに華奢、だが、その存在には確かに光があった。

100年目の六大学野球

投球フォームを見てピンと来た。元ロッテで侍ジャパンでも活躍した渡辺俊介。調べてみると、やはり息子だった。

100年目の六大学野球

父と瓜二つの超低空アンダースロー。少年が川で水切り遊びをするような憧憬。そのフォームの流麗さに惚れ惚れする。東大の4回生・渡辺向輝(こうき)

100年目の六大学野球

毎回、ヒットは打たれるが、仲間の好守にも助けられ、8回を終えて1失点の力投。三振は2つだけ。120キロ台の球速で、平均球速が上がっている時代の主流に逆らうように投げ続けた。

100年目の六大学野球

9回に打ち込まれ自責点は6になったが、味方打線が早めに点を奪っていれば、勝敗はわからなかった。バントミスが多い東大の中でも、渡辺はきちんと犠打を成功。チームメイトを鼓舞し、周りを明るくする爽やかさ。7月の日米野球には選ばれてほしい。下手投げは、アメリカ人にとって慣れない強敵になる。

100年目の六大学野球

東大は選手だけではない。応援の素晴らしさも印象に残った。声援の熱量、統率された動き。高校生たちが「六大学で野球がしたい」と思う理由の多くは、そこに詰まっている。青春は、グラウンドの中だけにあるのではない。スタンドにも、確かに存在する。

100年目の六大学野球

立教にも逸材がいた。名前がすでに物語を抱えている。山形 球道。野球の道を歩くために名付けられた名にふさわしく、4本塁打、14打点はリーグのトップ。オーストラリア代表のトラヴィス・バザーナを思わせるような躍動感あふれるスイング。

この日も、4打数3安打。9回には、勝負を避けるかのように申告敬遠。相手ベンチからの最大限の脅威と敬意が伝わってきた。

100年目の六大学野球

最終回、立教が7点を奪って試合を決めた。8-0。それでも、東大の9イニングには、意味があった。東大の存在は、六大学野球を照らす灯台のような輝き。

そして、六大学野球の100年は、記録ではなく、記憶の重なりだった。白球を追う背中と、声を張る応援が織りなしてきたその歳月は、静かに、これからも、東京の空に刻まれていく。

大学野球の軌跡

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