
夏の甲子園を制したチームに授けられるのが、正式名称「大深紅旗」、通称「深紅の大優勝旗」である。春のセンバツに用いられる「紫紺旗」と並び、高校野球を象徴する存在だ。紫紺が芽吹きの季節にふさわしい静けさを帯びる色とすれば、深紅は真夏の太陽に映える情熱の色である。
この旗の歴史は古い。1915年(大正4年)の第1回大会から京都の西陣織の職人が製作を担い、1958年には二代目が完成。そして大会100回を迎えた2018年には、60年ぶりとなる三代目が新調され、甲子園球場で披露された。

三代目の旗は縦120センチ、横150センチ、重さは約4.5キロ。深紅に染めた正絹の糸に金糸を織り込み、「優勝」の文字や鳩と月桂樹の図柄が浮かび上がる。さらにラテン語で「VICTORIBUS PALMAE(勝者に栄光あれ)」の文字も織り込まれている。制作には約1年2カ月を要し、費用はおよそ1200万円にのぼった。一般的な旗の数十倍にあたる規模であり、その重みは大会の歴史を物語っている。
最大の特徴は、西陣織の最高級技法「つづれ織り」で仕上げられている点だ。通常の旗は生地に刺繍を施して文様を描くが、深紅の旗はすべて横糸を織り込んで柄や文字を表現する。繊細な部分では一日に1センチしか進まないこともあり、まさに工芸品と呼ぶべき精緻さを誇る。
深紅の大優勝旗は、勝者にとっては誇りの象徴であり、敗者にとっては手の届かなかった永遠の目標でもある。その存在は単なる布切れを超え、高校野球という文化そのものを象徴してきた。百年を超える歴史と職人の技が込められた深紅の旗は、これからも甲子園の夏を彩り続けていく。
コラム:深紅は敗者の記憶にひるがえる

優勝旗というものは、単なる布切れにすぎない。染め上げられた赤い布に、金糸で縫い取られた校名が刻まれる。旗の先端には金色の飾りが揺れ、選手たちが行進で持ち歩く。物質としての価値は、たいしたものではない。
けれども、甲子園の深紅の大優勝旗には、どうしてあれほどの重みが宿るのだろうか。
あの旗を手にしたことのある者は、全国にごくわずかしかいない。毎年、夏になると数千校の高校球児が甲子園を目指す。その頂点に立てるのは一校だけ。言葉にすれば簡単だが、その「一校」に集約される情念は、数えきれない「敗者」の汗と涙の堆積の上にある。
旗を掲げる瞬間を夢見て、少年たちは白球を追いかける。誰もが胸の奥で「自分こそ」と信じている。だが、決勝戦の最後のアウトを奪うのは、たった一つの学校のたった一人の投手だ。勝者の歓喜の影で、二校、四校、八校、そしてそのさらに先にいる何千ものチームが、悔しさを飲み込んでいく。
深紅の大優勝旗は、そうした敗北の記憶をすべて背負った上で、ようやく「勝者」に手渡される。だからこそ、ただの布切れではなくなる。
勝った者たちは知っている。旗を握る自分の背後に、幾千もの挫折があることを。負けた者たちは知っている。自分が届かなかった場所に、たしかに旗が存在することを。
甲子園のアルプスに響く校歌や、浜風に揺れるユニフォームの白。それらすべてが、深紅の色をさらに鮮やかにしていく。
春のセンバツ大会の優勝旗は「紫紺」だ。濃い紫は静謐で、芽吹きの季節にふさわしい深みをたたえる。新しい挑戦の始まりを告げる色である。対して夏は「深紅」。灼けつく太陽と、燃え尽きるまでの情熱を象徴する色だ。紫紺が「これから」を暗示するなら、深紅は「すべてを懸けた果て」に翻る。
結局のところ、この旗は「誰のものか」と問われれば、勝者のものではなく、高校野球という儀式に立ち会ったすべての者のものなのだ。より正確に言えば、敗者のためにこそ存在している。
な勝者は歓喜とともに旗を掲げるが、その瞬間に旗は勝利者のものを超えてしまう。旗とともに歴史に名を刻むが、翌年にはまた新しい挑戦者となる。勝利は一瞬で過ぎ去るもの。
一方で敗者は違う。あと一歩で届かなかった記憶、最後の打球を追いきれなかった悔恨、ベンチで祈るように声を枯らした仲間たち。そのすべてが「自分たちは旗に届かなかった」という事実に集約される。深紅の旗は、手にできなかった象徴であり、だからこそ強烈に心に焼き付く。
敗者が見上げる旗こそ、もっとも鮮烈に、もっとも痛切に、その存在を証明されるのだ。勝者にとって旗は通過点だが、敗者にとって旗は永遠の到達点であり続ける。
深紅の大優勝旗は、敗者のための旗なのである。汗をかき、声を張り、涙を流した者たちの記憶の中にこそ、本当の深紅はひるがえっているのだ。
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