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ベースボール白書

野球観戦、野球考察。活字ベースボールを届けます。『WBC 球春のマイアミ』をリリースしました。

遙かなる甲子園〜100年目の詩

2024年8月23日、決勝戦の甲子園球場

2024年8月23日、決勝戦の甲子園球場

令和6年、阪神甲子園球場は100周年を迎えた。夏、9回、金属バット。三重奏が織りなすシンフォニーは日本の八月を照らすカクテル光線であり打ち上げ花火。野球は反時計回りにベースを一周するボールゲーム。時間の法則に逆らうように制限がなく、その軌跡は円周率のように、永遠に続く。しかし、高校野球で汗を流せる時間は有限。4月に入部し、3年生の夏に退部する。わずか2年ちょっとの間に、人生で最も大きく遥かなる経験をする。

2023年3回戦、慶應vs.広陵

2023年3回戦、慶應vs.広陵

東の神宮球場、西の甲子園。アマチュア野球の2大聖地。甲子園は2026年に100周年を迎える神宮球場の2年先輩。当初の呼び名は「甲子園大運動場」

高校野球はDHも無ければ、ホームランも少ない。ピッチャーも打席で必死になり、毎試合出るのが当たり前。ベーブ・ルースが二刀流で躍動した時代の野球に近い。高校野球は最も原始のベースボール。そのノスタルジアが観客の心をつかむ。

阪神甲子園球場

ニューヨーク・ジャイアンツのポロ・グラウンズをモデルに設計。着工からわずか5ヶ月で完成。仮名称は「枝川運動場」だったが、大正13年が甲子年(きのえねとし)だったことから「甲子園大運動場(看板表記は阪神電車甲子園大運動場)」と命名された。

2023年、創成館vs.沖縄尚学

2023年、創成館vs.沖縄尚学

80年前の昭和29年(1944年)から大会名が「全国高等学校野球選手権大会」に変わり『栄冠は君に輝く』が使われた。

外壁の蔦

阪神甲子園球場

阪神甲子園球場

球場が完成した1924(大正13)年の冬からコンクリート打ち放しの殺風景な球場外壁にツタが植えられた。ツタは阪神甲子園球場を日本の野球場で最高のベストドレッサーに変えてきた。株数約430本、葉の面積はタタミ8000畳分。

銀傘

甲子園球場の銀傘

甲子園球場の銀傘

甲子園の内野スタンドを覆う銀傘。アルミ合金製。昼間の試合は日光が反射して打球を見失う場合がある。夏は白い服を着ている観客が多いので、余計に打球が見えなくなる。建設当初は「鉄傘」や「大鉄傘」と呼ばれたが今は銀傘。太陽のゴールド、球場のシルバー。

黒土

甲子園球場の黒土

甲子園球場の黒土

野球は数ミリのスパイク跡で不規則なバウンド起こす。甲子園の黒土は鹿児島産の火山灰と川の砂に中国産の黄砂をミックスしたもの。「水もちのいい黒土」と「水はけの良い砂」。土が軟らかく、地方球場の硬さに慣れている選手たちはフカフカの絨毯の上を歩いているようにも錯覚する。球児たちのユニホームと白球を映えさせる日本一の黒土。

2023年、阪神園芸のトンボかけ

2023年、阪神園芸のトンボかけ

阪神園芸のトンボかけは、日々動いた土を元の位置に戻す作業。凹凸がないようマウンドから外側に向かう勾配に沿って整えていき、覚えるのには時間がかかる。先輩と一緒にトンボかけをして、徐々に身についていくもの。去年は明け方まで大雨が降ったのに、朝の8時には「本当に雨が降ったのか?」と錯覚するほどの整備だった。

夏芝

甲子園の夏芝

甲子園の夏芝

甲子園の芝は冬芝と夏芝があり、春の選抜は冬芝、選手権大会では夏芝が使われる。夏場の散水は1回15トンもの水を撒く。大半は井戸水で、貯めた雨水も使い、水道水は使わない。

阪神園芸の水まき

甲子園の内野に芝生がないのは高校野球のための球場だからである。阪神タイガースの球場なら全面を天然芝にできる。高校野球の期間中は毎日試合があり、1日数試合もすれば傷みが激しくなるから芝生は難しい。

スコアボード

甲子園が開園した当初、スコアボードは右中間にあった。1933(昭和8)年の第19回全国中等学校優勝野球大会では、延長25回となった明石中対中京商戦でスコアボードが足りず、板を急遽継ぎ足して試合を行った。

甲子園球場のスコアボード

現在のセンター後方に移ったのは1934(昭和9)年から。コンクリート製に変更され、ヒットなどを表示する赤・緑ランプが灯った。1984(昭和59)年から三代目になり、電光掲示方式に変わる。独特な明朝体の書体は、それまでの手書き時代を継承。1993(平成5)年には表示面の一部がカラー化された。職人が黒い板に毛筆で手書きしたものを使用。独特な明朝体の字形は「甲子園文字」と呼ばれた。

浜風

甲子園の浜風

甲子園の浜風

数々のドラマを産んできた甲子園の浜風。球場のライト方向からレフト方向に吹く大阪湾の海風。浜風によってフライの落下速度が遅いと感じ、イージフライをミスする。

アルプススタンド

2023年に優勝した慶應高校のアルプススタンド

2023年に優勝した慶應高校のアルプススタンド

内野と外野ドの間に位置するアルプススタンド。1929年、増え続ける観客を収容するための工事が行なわれ、外野のファウルゾーン東西の20段の木造スタンドを50段の鉄筋コンクリート製へと改修した。これがアルプススタンド。朝日新聞の記者として取材していた漫画家の岡本一平が1929年の8月14日の朝日新聞に「アルプススタンドだ」と掲載。実際は一緒に観戦していた息子の岡本太郎が考えたのではないかと言われている。このアルプススタンドは100年近く経つ今も白いシャツを着た観客で埋め尽くされる。

ヒマラヤスタンド

2023年8月16日、3回戦の甲子園球場

2023年8月16日、3回戦の甲子園球場

第22回大会の昭和21年(1936年)には外野スタンドを木造から鉄筋コンクリートに改築。アルプススタンドに対して「ヒマラヤスタンド」と呼ばれた。フェアグラウンドがほぼ現在の形となり、バックスクリーンも設けられた。

甲子園カレー

甲子園カレー

甲子園が開場した1924年から共に歴史を刻んできたのが「甲子園カレー」

甲子園カレー

普通のレトルトカレーだが、球場内の食堂の名物。山小屋で食べる普通のカレーが別格なように、甲子園で食べるカレーは一味違う。トーナメントの山を登る高校野球は形を変えた登山である。

かち割り

甲子園のかち割り

もう一つの名物が「かちわり」。搗ち割りは、純氷などの大きな氷を小さく割ったもの。溶けた氷水を飲み、額に乗せて涼をとる。これがないと直射日光の当たる場所での観戦は死んでしまう。夏の高校野球のみの販売で、タイガースの試合では販売されない。水は六甲山系の地下水を汲み上げたもの。2日間かけてゆっくりと製氷し、水に溶け込んだ空気が徐々に抜け、気泡が少ない氷になるため溶けにくくなっている。

甲子園のかち割り

「カチワリ」が初めて登場したのが1957年。販売は地元西宮市の飲食店「梶本商店」。金魚すくいで持ち帰った袋の金魚を見た初代社長がヒントを得て、ビニール袋に氷を詰めストローを付けると、飲み物と氷嚢の二刀流で使えることを発見した。発売開始当初は1袋5円。

深紅の大優勝旗

全国の高校球児が追いかけた「深紅の第優勝旗」。春のセンバツ優勝旗は「紫紺旗」、夏の全国高等学校野球選手権大会の優勝旗は正式名称が「大深紅旗」。1915年の第1回大会から京都の西陣織の職人が担当し、1958年(第40回)から二代目優勝旗へ。多くの旗は、生地の上に刺繍を施して仕上げるが、深紅の大優勝旗は文字や柄も糸を織り込んで描く「つづら織」なので1日1センチしか進まないこともある。

甲子園は次の100年へ

2023年、創成館vs.沖縄尚学

2024年に100周年を迎えた甲子園。暑さ対策の観点から大阪ドームへの開催変更も検討されている。

しかし、一度でも夏に甲子園で高校野球を観たものは知っている。甲子園以外の聖地はないと。たとえ7回制のイニングになろうと、早朝や深夜の開催になろうとも、金属バットが白球を捉える音は甲子園で響かせなければいけない。

甲子園球場

彼らの夏、ぼくらの声。此処より永遠に。野球ファンにゲームセットはない。