
やわらかな早春の陽射し、照りつける真夏の太陽。甲子園は光の球場である。
令和6年、阪神甲子園球場は100周年を迎えた。夏、9回、金属バット。三重奏が織りなすシンフォニーは日本の八月を照らすカクテル光線であり打ち上げ花火。野球は反時計回りにベースを一周するボールゲーム。時間の法則に逆らうように制限がなく、その軌跡は円周率のように、永遠に続く。
しかし、高校野球で汗を流せる時間は有限。4月に入部し、3年生の夏に退部する。わずか2年ちょっとの間に、人生で最も大きく遥かなる経験をする。
甲子園の歴史・誕生

2023年3回戦、慶應vs.広陵
東の神宮球場、西の甲子園。アマチュア野球の2大聖地。甲子園は2026年に100周年を迎える神宮球場の2年先輩。当初の呼び名は「甲子園大運動場」
ニューヨーク・ジャイアンツのポロ・グラウンズをモデルに設計。着工からわずか5ヶ月で完成。開場は1924年(大正13年)8月1日。建設費は250万円、設計・建設は大林組が担当した。
仮名称は「枝川運動場」だったが、大正13年が甲子年(きのえねとし)だったことから「甲子園大運動場(看板表記は阪神電車甲子園大運動場)」と命名された。

80年前の昭和29年(1944年)から大会名が「全国高等学校野球選手権大会」に変わり『栄冠は君に輝く』が使われた。

夏の甲子園では、過去3回、甲子園以外の球場が使用されている。1946年の第28回大会、1958年の第40回大会、1963年の第45回大会。
第28回大会は戦争直後で甲子園が占領軍に接収されていたことで、西宮球場での開催。第40回大会と第45回大会は、記念大会で出場校が増えたことによる試合数増に対応する措置として、甲子園と西宮球場が併用された。
第40回大会は節目の記念大会のため47都道府県から各1校出場となり、前年の約2倍となる47校が出場。試合数も増加し、3回戦までの一部の試合が西宮球場で開催。当時の甲子園は照明が1956年に導入されたばかりで、1日3試合消化が基本だった。
第45回大会の甲府商(山梨)で1年生だった堀内恒夫は、西宮球場のみ経験し、甲子園でプレーできなかった。
1978年の夏の大会から1県1代表制となり、甲子園はさらに熱を帯びていく。
外壁の蔦

阪神甲子園球場
球場が完成した1924(大正13)年の冬からコンクリート打ち放しの殺風景な球場外壁にツタが植えられた。ツタは阪神甲子園球場を日本の野球場で最高のベストドレッサーに変えてきた。株数約430本、葉の面積はタタミ8000畳分。
銀傘

甲子園球場の銀傘
甲子園の内野スタンドを覆う銀傘。アルミ合金製。昼間の試合は日光が反射して打球を見失う場合がある。夏は白い服を着ている観客が多いので、余計に打球が見えなくなる。建設当初は「鉄傘」や「大鉄傘」と呼ばれたが今は銀傘。太陽のゴールド、球場のシルバー。
黒土

甲子園球場の黒土
野球は数ミリのスパイク跡で不規則なバウンド起こす。甲子園の黒土は鹿児島産の火山灰と川の砂に中国産の黄砂をミックスしたもの。「水もちのいい黒土」と「水はけの良い砂」。土が軟らかく、地方球場の硬さに慣れている選手たちはフカフカの絨毯の上を歩いているようにも錯覚する。球児たちのユニホームと白球を映えさせる日本一の黒土。

2023年、阪神園芸のトンボかけ
阪神園芸のトンボかけは、日々動いた土を元の位置に戻す作業。凹凸がないようマウンドから外側に向かう勾配に沿って整えていき、覚えるのには時間がかかる。先輩と一緒にトンボかけをして、徐々に身についていくもの。去年は明け方まで大雨が降ったのに、朝の8時には「本当に雨が降ったのか?」と錯覚するほどの整備だった。
夏芝

甲子園の夏芝
甲子園の芝は冬芝と夏芝があり、春の選抜は冬芝、選手権大会では夏芝が使われる。夏場の散水は1回15トンもの水を撒く。大半は井戸水で、貯めた雨水も使い、水道水は使わない。

甲子園の内野に芝生がないのは高校野球のための球場だからである。阪神タイガースの球場なら全面を天然芝にできる。高校野球の期間中は毎日試合があり、1日数試合もすれば傷みが激しくなるから芝生は難しい。
スコアボード
甲子園が開園した当初、スコアボードは右中間にあった。1933(昭和8)年の第19回全国中等学校優勝野球大会では、延長25回となった明石中対中京商戦でスコアボードが足りず、板を急遽継ぎ足して試合を行った。

現在のセンター後方に移ったのは1934(昭和9)年から。コンクリート製に変更され、ヒットなどを表示する赤・緑ランプが灯った。1984(昭和59)年から三代目になり、電光掲示方式に変わる。独特な明朝体の書体は、それまでの手書き時代を継承。1993(平成5)年には表示面の一部がカラー化された。職人が黒い板に毛筆で手書きしたものを使用。独特な明朝体の字形は「甲子園文字」と呼ばれた。
浜風

甲子園の浜風
数々のドラマを産んできた甲子園の浜風。球場のライト方向からレフト方向に吹く大阪湾の海風。浜風によってフライの落下速度が遅いと感じ、イージフライをミスする。
アルプススタンド

2023年に優勝した慶應高校のアルプススタンド
内野と外野ドの間に位置するアルプススタンド。1929年、増え続ける観客を収容するための工事が行なわれ、外野のファウルゾーン東西の20段の木造スタンドを50段の鉄筋コンクリート製へと改修した。これがアルプススタンド。朝日新聞の記者として取材していた漫画家の岡本一平が1929年の8月14日の朝日新聞に「アルプススタンドだ」と掲載。実際は一緒に観戦していた息子の岡本太郎が考えたのではないかと言われている。このアルプススタンドは100年近く経つ今も白いシャツを着た観客で埋め尽くされる。
ヒマラヤスタンド

2023年8月16日、3回戦の甲子園球場
第22回大会の昭和21年(1936年)には外野スタンドを木造から鉄筋コンクリートに改築。アルプススタンドに対して「ヒマラヤスタンド」と呼ばれた。フェアグラウンドがほぼ現在の形となり、バックスクリーンも設けられた。
サイレン

春と夏の甲子園で鳴り響くサイレンは、銀傘の下に設置されており、試合開始前や終了後に鳴る甲子園の風物詩だ。正式には、試合前のシートノック、プレイボール、ゲームセット、そして8月15日正午の計4回、放送室にいるウグイス嬢がボタンを押し、約16秒間鳴らしている。
このサイレンは、西宮市の阪国電機が1936(昭和11)年に製造を始めたモーターサイレンが始まりとされる。ちょうどその頃、甲子園球場にも納入されたと考えられるが、正確な導入時期は不明だ。第22回大会期間中の1936年8月21日付「東京朝日新聞」夕刊1面には、「サイレン・喊聲・拍手」という見出しが掲載されており、当時の様子がうかがえる。なお、かつてはサイレンではなく進軍ラッパが使われていた時代もあった。
万一の故障に備えて、操作室の裏には予備のサイレンも用意されている。サイレンを鳴らす明確な理由は定かではないが、おそらく球場内のスタッフや関係者に試合の開始や終了を知らせるためと考えられている。
甲子園カレー

甲子園が開場した1924年(大正13年)から共に歴史を刻んできたのが「甲子園カレー」
15種類以上のスパイスをオリジナルブレンド、当初は球場職員が手作りで提供していたが、現在はレトルトパックで販売している。スタジアムグルメの元祖である。

山小屋で食べる普通のカレーが別格なように、甲子園で食べるカレーは一味違う。トーナメントの山を登る高校野球は形を変えた登山である。
かち割り

もう一つの名物が「かちわり」。搗ち割りは、純氷などの大きな氷を小さく割ったもの。溶けた氷水を飲み、額に乗せて涼をとる。これがないと直射日光の当たる場所での観戦は死んでしまう。夏の高校野球のみの販売で、タイガースの試合では販売されない。水は六甲山系の地下水を汲み上げたもの。2日間かけてゆっくりと製氷し、水に溶け込んだ空気が徐々に抜け、気泡が少ない氷になるため溶けにくくなっている。

「カチワリ」が初めて登場したのが1957年。販売は地元西宮市の飲食店「梶本商店」。金魚すくいで持ち帰った袋の金魚を見た初代社長がヒントを得て、ビニール袋に氷を詰めストローを付けると、飲み物と氷嚢の二刀流で使えることを発見した。発売開始当初は1袋5円。
深紅の大優勝旗

全国の高校球児が追いかけた「深紅の第優勝旗」。春のセンバツ優勝旗は「紫紺旗」、夏の全国高等学校野球選手権大会の優勝旗は正式名称が「大深紅旗」。1915年の第1回大会から京都の西陣織の職人が担当し、1958年(第40回)から二代目優勝旗へ。多くの旗は、生地の上に刺繍を施して仕上げるが、深紅の大優勝旗は文字や柄も糸を織り込んで描く「つづら織」なので1日1センチしか進まないこともある。
甲子園とは

甲子園とは何か。そう問われると、少し黙る。
球場である、と答えることはできる。兵庫県西宮市にある野球場である。阪神タイガースの本拠地である。春と夏には高校野球が行われる場所である。
どれも間違ってはいない。だが、それだけでは足りない。
甲子園という言葉には、いつも余分なものがついてくる。土。汗。校歌。アルプス。サイレン。白いユニフォーム。応援席のブラスバンド。試合後にグラウンドを去る背中。
それらが一度に浮かんでしまう。
だから、甲子園とは何か、と問われたとき、球場の説明ではなく、自分の中にある野球の記憶を探しはじめる。
そして、そこに出てくる言葉がある。
原点。
ずいぶん大きな言葉である。
日本の野球の始まりは、甲子園ではない。日本の野球はまず大学野球に入った。米国のベースボールも、高校野球から始まったわけではない。
歴史の起点として言えば、甲子園は「原点」ではない。少年が最初にボールを握る場所も、甲子園ではない。近所の公園である。小学校の校庭である。河川敷である。父親とキャッチボールをした空き地である。夕方になると急に暗くなるグラウンドである。
中学から野球を始める者もいる。プロ野球選手の中には、甲子園に出ていない選手もいる。甲子園を通らずに大成した選手など、いくらでもいる。
それでも、である。
それでも甲子園は、野球の原点だと言いたくなる。おそらく、甲子園は「野球が始まった場所」ではなく、野球が野球以上のものに変わる場所だからである。
人は最初、野球を遊びとして知る。投げる。打つ。捕る。走る。それだけで楽しい。
白球を追いかけ、バットに当たった感触に驚き、グラブに収まった音に満足する。そこに理屈はいらない。勝っても負けても、帰れば夕飯がある。ユニフォームが泥だらけになっても、次の日にはまた練習がある。
野球は、日常の中にある。だが、甲子園に来ると、野球は日常から少し離れる。
同じ9回である。同じ27個のアウトである。同じ一塁、二塁、三塁、本塁である。
けれど、そこでは一球が人生のように扱われる。
送りバントが成功すると、アルプスが揺れる。外野フライを落とすと、選手はうつむく。最後の打者が三振すると、勝ったチームは走り出し、負けたチームは動けなくなる。
ただの野球ではない。野球という競技に、時間がまとわりつく。
三年間。最後の夏。ベンチに入れなかった仲間。スタンドで声を枯らす部員。冬の走り込み。故障。背番号。それらが全部、一球の中に入ってくる。
原点とは、最初の場所のことだけではない。人が何かを好きになった理由に、もう一度戻れる場所のことでもある。
甲子園には、それがある。プロ野球には技術がある。大学野球には伝統と戦術がある。社会人野球には成熟した強さがある。メジャーリーグには世界最高峰の速度と力がある。だが、甲子園には、野球がまだ剥き出しだったころの感情がある。
勝ちたい。負けたくない。もう一日、このチームで野球がしたい。
その感情だけで、選手たちは走る。もちろん、それは美化かもしれない。
高校野球にも矛盾はある。過酷さもある。勝利至上主義もある。大人の期待も、学校の看板も、地方大会からの消耗もある。
甲子園を清らかな物語だけで語るのは、危うい。けれど、そうしたものを全部わかったうえで、なお、甲子園には消えないものがある。
それは、野球を見るこちら側の問題でもある。甲子園を見るとき、選手だけを見ているのではない。
自分がボールを追いかけていたころを見ている。補欠だった自分を見ている。試合に出られなかった夏を見ている。届かなかった夢を見ている。父親とキャッチボールをした夕方を見ている。初めて野球場に連れていってもらった日のことを見ている。
だから、甲子園は人それぞれの中にある。
出場した者だけのものではない。スタンドで応援した者だけのものでもない。テレビの前で見ていた者の中にもある。野球を途中でやめた者の中にもある。プロになれなかった者の中にもある。一度も甲子園の土を踏まなかった者の中にもある。
甲子園は、経験ではなく、共有された憧れなのだ。不思議なことだが、人は到達した場所よりも、到達できなかった場所に長く支配される。
行けなかった場所なのに、人生の中でずっと遠くに光っている。
原点とは、実際に立った場所ではない。そこを目指したことで、自分の時間が動き出した場所なのだ。
甲子園は、野球の発祥地ではない。野球技術の頂点でもない。すべての野球人が通る場所でもない。それでも、野球を志す者の心の中に、最初から置かれている。
まだ甲子園に行ったこともない少年が、「甲子園」と言う。まだ硬式球の重さも知らない子供が、「甲子園」と言う。県大会の一回戦で敗れるチームも、目標は甲子園だと言う。それは、地図上の目的地ではない。
野球が夢という形をとったとき、その名前が甲子園になるのである。
あの球場で試合がしたい。あの土を踏みたい。あのサイレンを聞きたい。あのアルプスに校歌を届けたい。そう思った瞬間に、野球はただの競技ではなくなる。自分の時間を賭けるものになる。
甲子園とは、その変化の名前である。だから、甲子園は原点なのだ。
野球が始まった場所だからではない。野球をする理由が生まれる場所だからである。
野球の歴史をたどれば、原点は別にある。しかし、野球の感情をたどれば、甲子園に戻ってくる。甲子園とは、夏の記憶である。
甲子園は次の100年へ

かつての高校野球はDHも無ければ、ホームランも少なかった。ピッチャーも打席で必死になり、毎試合出るのが当たり前。ベーブ・ルースが二刀流で躍動した時代の野球に近い。高校野球は最も原始のベースボール。そのノスタルジアが観客の心をつかむ。

2023年、創成館vs.沖縄尚学
2024年に100周年を迎えた甲子園。暑さ対策の観点から大阪ドームへの開催変更も検討されている。
しかし、一度でも夏に甲子園で高校野球を観たものは知っている。甲子園以外の聖地はないと。たとえ7回制のイニングになろうと、早朝や深夜の開催になろうとも、金属バットが白球を捉える音は甲子園で響かせなければいけない。

彼らの夏、ぼくらの声。此処より永遠に。野球ファンにゲームセットはない。