野球がチームスポーツであることは自明である。その理由は複数人で行うからではない。勝利を目指し、時には個人の記録を犠牲にするからだ。
ただし、送りバントという分かりやすい自己犠牲のことではない。見る側には分からない、もっと奥の深い駆け引きが野球にはある。
それは、約半年間をサーカスするプロ野球や、一瞬の夏を越える高校野球の甲子園も同じである。
打撃
チームの勝利がある程度、決定しているとき、その日の最終打席で得意なコースをわざと空振りすることがある。次の試合で、同じコースに同じ球種を投げさせるためだ。
プロ野球のペナントレースも高校野球の甲子園も長いサーキットをおこなう。たとえ打率や安打数が減ろうとも、個人記録よりチームの結果の重力が勝る。眼には映らない信念。執念の空振り。これが野球の奥深さでもある。
投手
試合の態勢が決したとき、わざと甘い球を投げて打たれることもある。相手にその球をインプットさせておくためだ。プロ野球は同じ相手と連戦をおこない、翌日も顔を合わせる。「あしたのために」。ピッチャーは打者より出場機会が限られ、その日の成績は査定に響く。それでもチームのために、自己犠牲を払う時もある。
お願いするのはキャッチャーの仕事。信頼関係を築いていなければ、この要求はできない。捕手に最も必要なのは人間力である。
守備
野球では、わざとエラーをする場面がある。守備の柱となる選手がミスすることで、緊張がほぐれるからだ。
かつて引退試合の会見でイチローが「野球は頭を使うスポーツ」だと言った。野球ほど知力を要求されるスポーツはないかもしれない。そして、チームの勝利のために自己の評価・評判を落とす行為も取ることがある。
ファンから下手だと揶揄されても、その心の内を開放するわけにはいかない。グッと唇を噛み、グラウンドの土を踏みしめる。それが野球である。
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